マニラ、ダカール、なぜ途上国で働くのか? 「グローバル人材」たちの苦労と葛藤(2)

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留学をきっかけに見つけた「やりたいこと」 

Tさん(TUMI プロダクトデザイナー)、ボストンの放送局勤務を経て、思いがけずセネガルに住んだ後、ニューヨークでデザイナーに

著書の9章に書いたセネガル旅行で、ダカールに住む日本人夫婦にお世話になったと書いた。僕がその奥さん(Tさんと呼ぶ)と出会ったのは、彼女がWGBHというボストンの公共放送局にデザイナーとして勤めていたときだった。

彼女は短髪にくりっとした目をした、活発な印象の女性だった。さばさばとした話し方でずばずばと要点を突くから最初は怖い人かと思ったのだが、しばらく話してみると、言葉の裏に博多っ子らしい人情が見え隠れして好感を持った。僕とはバックグラウンドがまったく違うのに不思議と話が合った。

彼女は福岡高校を卒業後に上京し大学に入学したものの、アルバイト漬けの毎日だった。そんな折、偶然キャンパスで見つけたチラシで、1年間アメリカに交換留学する機会があることを知った。費用は120万円だった。彼女は、居酒屋、工場、ティッシュ配りから真夜中の高速道路のインターチェンジの荷入れまで、できる仕事は何でもし、半年で120万円を貯めた。

そして交換留学先で「自分へのご褒美」にとアートのクラスを取った。それが非常に面白かった。交換留学を終える頃には、もう一度アメリカでデザインを勉強したいという決意を固めていた。

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