「私が若い英語のできる日本人ならば、日本を出て行くであろう」
そう言ったのは、シンガポールの国父、リー・クワンユーだった。仕事を求めて海外へ出ることは、日本においても現実的な選択肢となりつつある。われわれ日本人が世界中の人材たちと対等に戦っていかなければならない時代は、もはや始まっているのだ。
しかし世界では、どういった人材が求められているのだろう?
本連載では、すでに海外でポストをつかみ第一線で活躍する若き日本人のなかでも、いわゆる「駐在員」ではなく、「現地雇用」を得た人たちに注目したい。彼らの素顔、「海外出稼ぎ」の中で直面した困難や仕事の面白み、そして経済的な事情や日々の生活スタイルなどなどに触れることを通して、世界がこれからのわれわれに何を求めるのか、いわば「世界の募集要項」が何であるのかに迫っていく。
本連載では、すでに海外でポストをつかみ第一線で活躍する若き日本人のなかでも、いわゆる「駐在員」ではなく、「現地雇用」を得た人たちに注目したい。彼らの素顔、「海外出稼ぎ」の中で直面した困難や仕事の面白み、そして経済的な事情や日々の生活スタイルなどなどに触れることを通して、世界がこれからのわれわれに何を求めるのか、いわば「世界の募集要項」が何であるのかに迫っていく。
「海を渡り、世界で戦う」ことは、すでに人生の選択肢のひとつとして存在するのだ!
駐在員ではなく現地採用@オリックス中国本社
今回、話を聞いた大内昭典さんは、2013年12月に出版された『今こそ伝える日中100人』で、“日中両国の各分野で活躍し、日中友好・交流事業の促進に尽くしている中国人と日本人、各50人”のひとりとして取り上げられた。
しかし、大内さんと中国との関係は昔から深かったわけではない。大学在学中に公認会計士試験合格(旧第2次試験)、そして卒業後は外資系投資銀行での勤務とまさしく花形キャリア、王道を歩いて、中国との出会いは2010年。
リーマンショック後、世界経済が大きな転換期を迎えていた頃のことだった。流れの変化を早くから察知していた大内さんは、会社を辞めて身ひとつで中国のMBAスクールの門をたたいたのだ。当時、中国語はまったく話せなかった。
現在は、日系大手企業であるオリックス中国本社に、駐在員ではなく現地採用で雇用され、事業投資に従事している。
ここからは大内さんに、中国ビジネスの最前線に立って戦うということについて、そして収入などの経済面や恋愛事情などリアルな中国生活について聞いていこう。
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