「就活」への違和感、そしてボストン大学へ
櫻井麻衣子さんは、前回の記事で紹介した成相さんと同じボストン大学(BU)のInternational Educational Development Program (国際教育開発プログラム)の修士課程に留学する、僕と同い年の学生だった。当時ボストンには同い年の日本人は数えるほどしかいなかったこともあり、すぐに仲良くなった。
人懐こさと独立心が程よく同居した話し方をする明るい人だった。笑うときには頬にえくぼが浮かんだ。だが、その明るい笑いには、思慮深さ、あるいは何らかの悩みや苦労に根差した一抹の影のようなものが混ざっているように思えることがあった。
彼女は日本の大学ではごく普通の学生だったという。就職活動を始める頃に適性試験を受けたら、「無気力、無関心、無感動」とさんざんなことを書かれたと、振り返って笑っていた。そんな彼女も、周囲の友人たちが就職活動にあくせくしだすと、背中を押されるように就活セミナーに参加した。しかし、そこにいた人たちがみんな黒髪、黒スーツなのを「気持ち悪い」と感じ、私はここにはいられないと思ったという。
“教育を通じた途上国支援”について学びたい!
彼女は子どもが好きで、教育に興味を持っており、大学で教職課程を取っていた。一方で、時折、テレビなどで見聞きした、教育を受けたくても受けられない貧困国の子どもたちの話が心に引っかかっていた。だから、教育実習で教壇に立ったとき、日本の教育はなんてレベルが高いのだろうと思う一方、自分が見なくてはいけないものが日本の外にあるのではないか、という思いを抱いたという。
そこで彼女は、教育を通じた途上国支援について学べるプログラムがないかを探した。その目的にかなうプログラムがBUにあることを見つけ、応募したところ、学校から奨学金をもらえることになったので、留学することに決めた。
だが、留学した後は、おそらくほとんどの日本人留学生が経験するだろう苦労、いや、もしかしたらそれ以上の苦労を彼女も味わった。彼女が入ったプログラムは理工系のプログラムとは異なり、留学生がほとんどおらず、アジア系アメリカ人すらいなかった。約50名のクラスメートのうち、自分以外は全員白人だった。だから余計に溶け込みづらかったという。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら