今年2月最終週に私はモスクワを訪れていた。日本について「クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号での感染拡大は日本の失策だ」という現場リポートがロシアでも流され、準汚染地域からの来訪者という認識を持たれていた。
モスクワの街を席巻していた中国人観光客は姿を消していた。モスクワの原宿ともいわれるアルバート街でも中国語の看板だけが目立っていた。
中国人が警察によってホテルでの待機を命じられ、中国大使館が中国人の人権を保護するよう異例の声明を出す事態も起きた。
公式発表では当時ロシアの感染者はわずか2人、それも中国からの留学生だった。中国との国境は1月31日に封鎖、武漢からの帰国者は、シベリアのサナトリウムに送られた。
新型コロナウイルス(COVID-19)は中国を中心とした東アジアの感染症であるとの意識をプーチン大統領もロシア国民も持っていた。
プーチンは、極東やシベリアの街に感染が拡大したとしても街を封鎖すればよい、首都モスクワなどロシアの心臓部への拡大を防げば影響は局所化できると考えていたのだろう。
ロシアのコロナ禍は中国ではなくヨーロッパから
そのため、ヨーロッパからの感染流入についての対応が明らかに遅れた。2月の下旬、ロシアの富と権力が集中するモスクワでは、工場跡地が新たなレストラン街に変貌したり、ヨーロッパ最大のフードショーが出現したり、世界のメガロポリスの1つとしての日常に何の変化もなかった。しかし、そのころすでにじわじわとロシアにも新型コロナがヨーロッパから浸透していた可能性が大きい。
2019年のデータだが、1月から3月までにロシアからイタリア、フランス、スペインの3カ国に50万人余りの旅行客が訪れている。プーチン自ら肝いりでソチ五輪とともにアルペンスキーの文化を広めたからだ。プライベートジェットを利用する大富豪からモスクワや地方の富裕層までが北部イタリアなど冬のリゾート地を大挙して訪れる。ロシアのコロナウイルス対策本部の発表では今年3月時点でも毎日3万人から5万人を超えるロシア人がヨーロッパなどの感染地帯から帰国している。
日本の専門家会議・クラスター対策班の西浦博教授は3月、ヨーロッパからの新型コロナ流入について「焼夷弾のようだった」と表現したが、モスクワはヨーロッパからの絨毯爆撃を受けたようなものだろう。当時、ロシアは空港でのPCR検査も行わず、帰国者の14日間の隔離措置もまだなかった。プーチンが油断している間に、首都モスクワ直撃という最も恐れる事態が起きていたのである。
プーチンは何をしていたのか。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら