2月末にはイタリアでの深刻な状況が明らかになっていたのに、憲法改正に集中していたプーチン大統領が具体的な措置を取るのは3月25日からだ。
この3週間以上の間にモスクワは絨毯爆撃を受け、さらにヨーロッパからモスクワに帰国した富裕層を通じてロシア全土に広がっていた。4月終わりには、モスクワの感染状況を示す地図によれば市民の所得に関係なくあらゆる地域に感染は広がっていた。
しかし、ソビャーニンの直言がなければモスクワはNYのようにさらに悲惨な状況になっていたかもしれない。
ロシアの感染防止対策はそれ以後、ソビャーニンを中心とするモスクワ市が主導することになる。ロシアの富が集中するモスクワの財力を活かして、ソビャーニンは新型コロナウイルスに対する医療体制と検査体制を急速に整える。徹底したPCR検査の拡充と厳しい自己隔離措置というモスクワ方式といわれる対策を主導した。その効果については評価が分かれている。
地方政治出身で老練なソビャーニン
一日に20万件以上という検査体制を作り上げたが、感染者が増えるばかりで、なかなか減少に結びつかなかった。感染源を過去にさかのぼって突き止める日本のようなクラスター対策は行われず、検査をいくら拡大しても感染の拡大に追いつかなかった側面もある。
一方、ロシア人の性格として自己隔離は最も苦手なものだ。要請ベースでも自粛を甘受する日本人とはまったく異なる。「禁止されていないことは自由だ」というのが、強権体制の下で生き抜いてきたナロード(人民)のしたたかさだ。自己隔離政策は経済に大きな打撃をもたらし、ソビャーニンの評判を下げた側面もある。
ただ短期間に検査体制を整備し新たな病棟の建設を含む医療体制を整えて大きな医療崩壊を防いだのは、プーチンではなくソビャーニンというのが一般のモスクワ人の評価だろう。なぜソビャーニンがプーチン体制では珍しくイニシアチブを発揮できたのか。それは彼の地方政治家としてのたたき上げの歩みが影響しているかもしれない。
プーチンの側近にはメドベージェフ前首相やセーチン・ロスネフチ社長などサンクトペテルブルクや治安機関時代の部下や同僚が多い。一族郎党である。その中でソビャーニン市長は異色の経歴だ。地方政治家としてのキャリアが彼の原点にある。ロシアの最大の油田地帯チュメニ州の地方政治家として1990年代に頭角を現し、2001年には激しい選挙戦の末、現職の知事を破りチュメニ州知事となっている。
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