「ウルトラマン愛」を仕事にした円谷社員の人生 20年かけて集めたグッズはコンテナ3台分

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 最新
拡大
縮小
「ウルトラマン愛」を仕事に惜しみなく注ぐ藤田浩さん。手に持つのは円谷プロとして初めて自社企画・制作するフィギュアの第一弾「ケムール人」(写真:風間仁一郎)(C)円谷プロ
「御社のオタクを紹介してください」と企業を訪ねていると、仕事を心から楽しんでいる人が意外といることに驚く。この連載では、オタク社員ならではの深い知識を教えてもらうとともに、“好き”を仕事にする秘訣に迫っていく。
今回インタビューしたのは、ウルトラマンで知られる円谷プロダクションに勤める藤田浩さん。自社キャラクターを用いた商品化・広告企画・イベントを担当するが、フィギュアコレクターでもあり、30歳ごろから20年間で集めたフィギュアはなんと、2トントラック用のコンテナ3台分。そして、彼が仕掛けるウルトラマン関連の仕事は大いに成功している。ウルトラマン好きが高じて数回転職をし、理想の仕事に近づいていった、藤田さんのキャリアとは――。

大好きだったウルトラマンをビジネスで仕掛け大成功

――集めたコレクションは2トントラック用コンテナ3台分と、すごい量だそうですね。

この連載の記事一覧はこちら

15年くらい前に自宅に入りきらなくなって、今は知人の土地にコンテナを置かせてもらっています。日本の特撮をメインに集めていますが、ほかのフィギュアもあるので、こんな量になってしまいました。

今朝、歯磨きながら計算したら、20年間で少なくとも1200万円は使ってきたことに気がついて、愕然としました。これは家族には言えないなと。

――フィギュアを集め始めたキッカケはなんだったのでしょう?

子どもの頃は特撮をよく見ていましたが、普通に卒業し、車やファッションに興味が移りました。1990年代半ば、30歳ごろのことです。渋谷・代官山・原宿のセレクトショップに行くとスター・ウォーズやスパイダーマンといった海外のフィギュアが置いてありました。かっこいいなと買い始めたのが最初です。

――海外フィギュアから、どうしてウルトラマンに傾倒していったのですか?

1990年代当時、僕は外資系CDストアで働いていました。2000年前後からCDが売れなくなり、代わりに当時ニューメディアであったDVDを積極的に売るようになったんです。最初はスター・ウォーズなどのハリウッド映画を一生懸命売り出し、その次に売り始めたのがウルトラマンなど、日本の特撮作品でした。

そこで、僕がハリウッドのSF映画を好きになったのは、ウルトラマンが原点だと自覚したんです。なので僕たち1960年代生まれのルーツであるウルトラQやウルトラマンを、もう一度みんなで見よう、といったプロモーションを始めたんですね。

次ページ俳優の来店イベントが大当たり
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【浪人で人生変わった】30歳から東大受験・浪人で逆転合格!その壮絶半生から得た学び
【浪人で人生変わった】30歳から東大受験・浪人で逆転合格!その壮絶半生から得た学び
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT