戦国の合戦「最大の番狂わせ」はどれだったか 信長、家康、信玄…「まさか」は、あの戦い?
本能寺の変は足利義昭が黒幕?
2017年9月、「本能寺の変」に関連する手紙の発見が大きなニュースになりました。
見つかったのは、事件の犯人だった明智光秀が書いた手紙の自筆原本で、彼が主君の織田信長を暗殺した10日後、豊臣秀吉と戦って敗れることになる山崎の戦い前日に、反信長派の紀伊雑賀衆(さいかしゅう)土橋重治(つちはし しげはる)に宛てたものです。
この手紙は、手書きの写しは知られていましたが、原本からは光秀の筆跡や細かい折り目などから「密書」の緊迫した雰囲気も感じられ、貴重な発見となりました。
書面には、信長に追放されて鞆(とも)の浦(広島県福山市)に身を寄せていた将軍足利義昭を、光秀が再び京都に迎えようと奔走している様子が書かれており、これを根拠に、本能寺の変は光秀による単独犯行ではなく、「義昭が黒幕」だった可能性を指摘する声もあります。
もちろん、これには反論もあり、窮地に立たされた光秀が、味方を募るために将軍の名を利用した、たんなる「フェイクニュース」を出したのだとする説など、事件の真相をめぐってはこれからも議論が続きそうです。
ところで、「本能寺の変」は天下統一を目前にした信長にとって、まさに「番狂わせ」な出来事でした。そもそも戦国時代には「予想外の結末を迎えた合戦」は数多く存在します。
そこで今回は、あの有名武将も直面した「番狂わせ」について解説します。
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