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戦国の合戦「最大の番狂わせ」はどれだったか 信長、家康、信玄…「まさか」は、あの戦い?

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  • 山岸 良二 歴史家・昭和女子大学講師・東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師
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家康の嫡子である徳川秀忠にとっての関ヶ原の戦いも、まさに「番狂わせ」の連続でした。

徳川秀忠の大失態、黒田如水のついえた野望

【秀忠踏んだり蹴ったり】徳川秀忠vs.真田昌幸 ~関ヶ原の戦い(信州)~

石田三成らの挙兵を知った家康は、会津への出陣を中止すると、軍勢を二手に分けて、自らは東海道を、秀忠には中山道を進軍させました。

秀忠はその途上、家康に命じられた真田氏の上田城(長野県上田市)の攻略にとりかかります。攻める秀忠勢は3万8000、対する真田にはわずか2500の兵しかおらず、秀忠にしてみれば、半日もあればひと思いにひねり潰せるはずの敵でした。

ところが、真田氏は得意のゲリラ戦による巧みな戦術で秀忠を翻弄します。秀忠は大軍をもってしても容易に真田を陥落させることができず、無駄に日数を費やします。そして最終的には、城の攻略を断念して、中山道を急ぎ決戦場へ向かうことになるのです。

しかし、ここで秀忠は「再び番狂わせ」に見舞われます。真田に足止めされたことも影響して、秀忠は関ヶ原の決戦に間に合わないという大失態を演じたのです。これによって秀忠は、大きく面目を失いました。

【如水、天下の夢破れる】黒田如水vs.大友義統 ~関ヶ原の戦い(九州)~

黒田如水(官兵衛)に舞い降りた天下人へのチャンスは、「番狂わせ」とともに露と消えました。

関ヶ原の戦いで、九州では東西両軍の諸大名と将兵の多くが不在になりました。これを見た大友義統(よしむね)が、改易されていた旧領の豊後(大分県)を回復しようと軍事行動を起こすなど、九州は一時的に無法状態の様相を呈していました。

こうした状況の中、息子の長政を関ヶ原に派遣した豊前(福岡県東部と大分県北部)の黒田如水(官兵衛)は、寄せ集めた兵を率い、石垣原(いしがきばる・大分県別府市)で義統を破ると、勢いに乗じてそのまま九州を席捲しようと、諸城を次々と襲い始めました。

実は如水は、「三成と家康の争乱が長引く」ことを想定して、「その間に九州を平定して、あわよくば天下をかすめ取ろう」という野心をもっていたのです。

ところが如水の予想に反して、関ヶ原での決着は1日でついてしまいます。如水にとって、これは「まさかの番狂わせ」でした。九州の大名にもほどなく停戦が命じられたため、彼の野望はここについえました。

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【最も世間を騒がせた「番狂わせ」は?】

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