関ヶ原の戦いは「裏切り者を見抜く」教科書だ 「友人、部下、同僚」こんな人物は要注意!

数多くの「裏切り者」が現れた関ヶ原の戦いを知ると、裏切りを「見抜く」目が養われます(写真:akg-images/アフロ)
関ヶ原の戦いは「裏切り」によって勝負が決着したのは有名だ。
よく知られているのは「小早川秀秋」の裏切りで、彼の決断が戦いの行方を左右したと広くいわれている。
しかし、実際の関ヶ原の戦いで、石田三成率いる西軍を裏切ったのは小早川秀秋ひとりではなく、ほかの多くの大名も追随して裏切っている。
彼らはなぜ「裏切った」のか? この「裏切り者」への道を選んだ彼らの動機を探っていくと、そこには現代にも通じる日本社会特有の「しがらみ」が見えてくる。
「日本史を学び直すための最良の書」として、作家の佐藤優氏の座右の書である「伝説の学習参考書」が、全面改訂を経て『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』『いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編』として生まれ変わり、現在、累計15万部のベストセラーになっている。
本記事では、同書の監修を担当し、東邦大学付属東邦中高等学校で長年教鞭をとってきた歴史家の山岸良二氏が、関ヶ原の戦いに見る「人が裏切る動機」を解説する。
西軍が負けたのはすべて三成のせい?
「1600年の関ヶ原の戦いで、徳川家康率いる東軍が勝利した要因は何ですか?」
そう質問されると、歴史ファンに限らず、多くのみなさんが「小早川秀秋の裏切り!」と即答するでしょう。
もちろん、その答えは正解です。彼の裏切りによって、互角で推移していた戦いの形勢はいっきに東軍の優勢へと転じます。
しかし、このとき西軍を裏切ったのは小早川秀秋だけではありません。ほかにも多くの西軍所属の大名が、大将である石田三成の指示に従いませんでした。なかには「本当の裏切り者」とも呼べる戦国武将もおり、これらが原因で西軍の劣勢は決定的となりました。
小早川秀秋をはじめとする彼らが西軍を裏切った理由として、「石田三成が味方からも嫌われていた」ことが一般的によくいわれています。しかし、はたして本当に理由は「それだけ」だったのでしょうか。
あらためて「裏切り者」となった人たちの動機を細かく見てみると、興味深いことに、そこには現代に生きる私たちの社会にも見られる、もっと「多様な理由」が存在します。
そもそも「人が裏切る」動機は何なのか。どういう人間が裏切る可能性が高いのか。今回は「裏切り者」を見抜くコツを、裏切りが続出した関ヶ原の戦いを題材に解説したいと思います。
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