「稀に見るケチ」徳川家康が天下を取れたワケ 地味すぎる出世の過程に秘密があった!

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
ケチケチ戦略が「家康の強み」に(写真:yanmo / PIXTA)
NHK大河ドラマ「真田丸」も後半戦に入り、いよいよ「関ヶ原の戦い」後に突入する。戦の策略、大名同士の思惑のめまぐるしい動きに目を奪われるが、ドラマでは描かれていない見方がある。それは、「戦国武将の経済事情」という視点だ。
『お金の流れで見る戦国時代』を上梓した元国税調査官の大村大次郎氏が、戦国時代における徳川家康の「経済力」に迫る。

家康は省エネ戦略で天下を取った?

徳川家康のやり方というのは、下世話な言い方でいえば、「ケチ」である。家康は、とかく「ケチ」だった。国を治める場合も、戦争をする場合も、自分から大きな出費をしたり、無理をしたりすることはなかった。

歴史が好きな人ならば、織田信長や豊臣秀吉がどうやって天下を統一していったのか、その過程をだいたい知っているだろう。だが、家康については、相当な歴史好きであっても、実はあまり知らないのではないだろうか?

家康は幼少期の人質生活からスタートして、関ヶ原の戦いの前の時点で250万石という日本で最大版図を持つ大名になっている。しかし、家康がどうやって領地を広げていったのか、その過程はほとんど知られていないのだ。それもそのはずで、家康の出世の過程というのは、「面白くもなんともない」ため、あまり描かれることがないからだ。

信長であれば「桶狭間の急襲」や、「信長包囲網との息詰まる戦い」など、ドラマチックな要素が多々ある。秀吉の場合も「中国大返し」や、柴田勝家と雌雄を決する「賤ヶ岳の戦い」など、小説や映画のネタになりやすい、ストーリー性の高い出来事がある。

しかし家康の場合は、重要な戦いのほとんどが、“火事場泥棒”のようなものばかりなのである。

次ページ家康の「省エネ戦略」
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事