真田幸村、「作られた英雄像」の真相に迫る 人に話すと赤っ恥?「あの活躍」も創作だった
真田幸村はほとんど「無名」の存在だった
「あなたの一番好きな戦国武将は?」
そう聞かれて返ってくる答えの多くは、「織田信長」「武田信玄」「上杉謙信」「豊臣秀吉」「徳川家康」「伊達政宗」といった、歴史ドラマでもおなじみの名前でしょう。
なかでも特に人気が高い武将のひとりが、今回取り上げる「真田幸村」。NHKの大河ドラマ『真田丸』が放映され、幸村の人気はますます高まるばかりです。
そもそも「幸村人気」はいつから始まったのかご存じでしょうか。幸村は戦国時代の終わりから江戸時代初期にかけての人物ですが、その最晩年を除き、彼の存在は当時の人々にはほとんど知られていませんでした。
彼が徳川家康と豊臣秀頼との最後の戦いである「大坂の陣」に豊臣方として参加し、天下にその名を轟かせたのは確かな事実です。しかし、それ以前の半生を含め、実は彼の真の姿はほとんどわかっておらず、謎だらけの人物です。
そんな彼がどうしてここまで多くの人に愛され、賞賛されているのか? 彼は本当に「スゴい武将」だったのか? あらためて真田幸村の「真実」について迫ってみます。



















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