「稀に見るケチ」徳川家康が天下を取れたワケ 地味すぎる出世の過程に秘密があった!

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こうした行動は、家康の性格によるものもあるのだろうが、それは結果的に、「家康の強み」にもつながった。

秀吉は裸一貫で成り上がった武将なので、家臣は皆、自分の代になって初めて付き従った者ばかりである。また、元同僚が家臣になったケースも多々ある。そのため、家臣に多くの物を与えないと、自分についてきてくれなかったのである。

一方、家康は、自分の周囲は、代々の家臣できっちり固めていた。彼らは、それほど大きな褒賞を与えられなくても家康から離れることはない。今川、織田に挟まれて瀕死だった松平家を知っている家臣たちは、わずかでも所領が増えれば、それで御の字だったのである。

また家康は、前述したように無理に版図を広げずに、敵が弱まったときに一気に侵攻をかけた。そのため、家臣に対する褒賞や、敵から寝返った武将への代償なども、それほど多くなくて済んだのである。

家康の“貯金”のおかげで江戸時代は約270年も続いた

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それにしても、400万石を手にしながら、筆頭家老にその1割も与えないというのは、性格的に家康が相当にケチだったということもあるだろう。だが、この家康のケチケチ戦略が、結果的に江戸時代を約270年も持たせた大きな要因となる。

徳川家は、武家政権(鎌倉、室町、安土桃山)の中では、もっとも直轄領が多かった。「直轄領が多い」ということは、「経済基盤が強い」ということである。徳川家の圧倒的な財力を前にしては、大名たちはちょっとやそっとのことでは手出しできなかった。

結局それが、約270年も江戸時代が続いた理由のひとつとなった。徳川家康の行動からは、「経済力」をどう蓄え、守り、生かすか、ということについて考えさせられる。

大村 大次郎 元国税調査官

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おおむら おおじろう / Ojiro Omura

国税局に10年間、主に法人税担当調査官として勤務。退職後、ビジネス関連を中心としたフリーライターとなる。単行本執筆、雑誌寄稿、ラジオ出演、『マルサ!!』(フジテレビ)や『ナサケの女』(テレビ朝日)の監修等で活躍している。ベストセラーとなった『あらゆる領収書は経費で落とせる』をはじめ、税金・会計関連の著書多数。一方、学生のころよりお金や経済の歴史を研究し、別のペンネームでこれまでに30冊を超える著作を発表している。『お金の流れでわかる世界の歴史』は「大村大次郎」の名前で刊行する初めての歴史関連書である。近著に『税務署対策 最強の教科書』『「土地と財産」で読み解く日本史』。

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