関ヶ原の戦いは「裏切り者を見抜く」教科書だ 「友人、部下、同僚」こんな人物は要注意!

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西軍を裏切った大名を例にとりながら、「人が裏切る動機」を分析してみましょう。

「怨恨」「血縁」裏切りの動機は十人十色

1.「冷遇」されたことへ恨み(小早川秀秋)

裏切る動機のひとつめは、「小早川秀秋」(筑前名島〔福岡県〕30万石)に代表される、「冷遇」されたことに対する個人的な恨みです。

小早川秀秋はもともと豊臣秀吉の妻、北政所(きたのまんどころ、おね)の甥で、子どもに恵まれなかった秀吉の養子となり「後継者候補」といわれていました。

しかし、秀吉に実子「秀頼」が誕生すると、一大名の小早川家に養子に出されてしまいます。その後も戦場での失態から領地を没収されて左遷されるなど、石田三成ら豊臣政権から「さんざん、冷遇」されました。

やがて小早川秀秋は旧領を取り戻しますが、このとき手を貸してくれたのが徳川家康です。石田三成らに対する「冷遇されたことへの恨み」が、小早川秀秋が裏切ることになった要因のひとつです。

2.もともと「寝返る先」と仲がよかった(吉川広家)

吉川広家(きっかわ ひろいえ、出雲・隠岐〔島根県〕14万石)は関ヶ原の戦い以前から、黒田長政をはじめ多くの東軍の大名と非常に親しく、しかも東軍の勝利を確信していました。

しかし、彼は「諸事情から自らの望む陣営に加われなかった」のです。

吉川広家は西軍の「名目上」の大将、毛利輝元のいとこで、吉川家は代々毛利「本家」を支える重要な「支族」の地位にありました。そのため、毛利輝元の西軍に参加するという意向に従い、広家も「表面上」これに追随します。

ただ、水面下では「開戦前」から家康に内通しており、最後まで戦闘に加わらずに味方の進撃を妨害し続けるなど、「利敵行為」に徹しました。

3.本人の意志ではなく「身内」に反対されて(鍋島勝茂)

「本人の意志」ではなく「身内からの強い反対」にあって寝返った大名もいました。「鍋島勝茂」(なべしま かつしげ、肥前佐賀〔佐賀県〕35万石)です。

勝茂の父、鍋島直茂(なおしげ)は、かつて島津家らと九州の覇権を争った龍造寺家の家臣でありながら、実質的には「当主」として君臨していた実力者でした。

子の勝茂は、はじめは「独断」で西軍に属し、東軍の拠点を次々と攻略していたところ、本国の父、直茂から「いますぐ東軍に所属せよ」との命令が届き、関ヶ原の決戦を前に急きょ、戦線を離脱します。

この父親の「卓見」が、鍋島家を救ったのです。

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