関ヶ原の戦いは「裏切り者を見抜く」教科書だ 「友人、部下、同僚」こんな人物は要注意!

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西軍を裏切った大名の動機をあらためて詳しく見ていくと、意外にも「石田三成本人への怨恨」を挙げる大名は少ないようです。

もちろん、石田三成を嫌っていた大名ははじめから家康の側につくでしょうから、それはある意味、当然ともいえます。「関ヶ原の決戦当日をむかえるまでの石田三成は、それなりに西軍をよくまとめていた」とも思います。

とはいえ、石田三成が西軍の大名から好かれていた様子もなく、そうでなければ、これほどの「裏切り」が続出するわけがありません。やはり、「石田三成に人望がなかった」というのも本当のようです。

もし、徳川家康に匹敵する人望を石田三成がそなえていたら、戦いの結果は違っていたかもしれません。

「裏切りは当たり前」だった戦国時代

現代に生きる私たちの価値観では、「裏切り」と聞くと非常にマイナスイメージがあります。しかし、当時はむしろ「裏切りが当たり前」の時代でした。

自分たちが「生き残る」ために烏合(うごう)離散は日常茶飯事。このころはまだ「武士道」などという言葉すら存在していません。下克上の戦国時代を生き抜いてきた大名たちにとって、裏切りは特別なことではなかったのです。

もうひとつ、多くの裏切りが起きた背景には「徳川家康の画策」がありました。家康は情報網を駆使して事前に周到な策をめぐらせ、裏切りを誘発していたのです。

この時期、家康は西軍に味方しそうな各地の大名たちに膨大な数の手紙を書き送り、決戦の前から懐柔していました。その結果、西軍には家康に内通した大名たちも多かったのです。

石田三成は、そうしたことに警戒はしていなかったのか。怪しい動きを察知することはできなかったのか。裏切る人の動機はさまざまありますが、結果からすれば、内通を見抜けなかった石田三成は脇が甘かったと言わざるを得ません。

このように関ヶ原の戦いを見てみると、現代にも通じるさまざまな教訓を得ることができます。「勝利する者」は事前に周到な準備をし、逆に「敗者」の側から見れば、裏切る者には何かしらの「動機」があり、それを冷静に見抜けなかったことが敗北につながりました。

日本史には、このように人間関係を考えるヒントが詰まっています。ぜひ歴史を学び直すことで、ビジネスや実生活で生き抜くための「人間関係の武器」を手に入れてください。

山岸 良二 歴史家・昭和女子大学講師・東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師

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やまぎし りょうじ / Ryoji Yamagishi

昭和女子大学講師、東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師、習志野市文化財審議会会長。1951年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。専門は日本考古学。日本考古学協会全国理事を長年、務める。NHKラジオ「教養日本史・原始編」、NHKテレビ「週刊ブックレビュー」、日本テレビ「世界一受けたい授業」出演や全国での講演等で考古学の啓蒙に努め、近年は地元習志野市に縁の「日本騎兵の父・秋山好古大将」関係の講演も多い。『新版 入門者のための考古学教室』『日本考古学の現在』(共に、同成社)、『日曜日の考古学』(東京堂出版)、『古代史の謎はどこまで解けたのか』(PHP新書)など多数の著書がある。

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