――では、何のために音楽をやっているのでしょうか。
西本:何のためだろう……。自己満足や趣味のためにやっているわけじゃないのは確かだけど。
青柳:使命感みたいな思い上がったことも考えていません。音楽は完全になるまでに時間がかかるものだから、今の時点では何のためにやっているかなんて考えなくていいんじゃないかな。
西本:落語でも演劇でも、本物の芸事に出合ったときは、何日も食べていないときに何かを食べたときぐらいの感動がありますよね。すごい力を持っていると思う。私たちの音楽もそんな本物を目指したい思いがあります。
青柳:本物になるには後30年はかかるね。
日本語が持っている”物理的な”力
――僕はETTの音楽は曲も演奏もすでに本物だと感じています。曲作りで気をつけていることはありますか。
青柳:音楽は人間を内包する自然という無形なものの写しだと僕は思っています。自分の状態をクリアにしておけば、自然からのインスピレーションは必ずやってきます。「オレはこういうことが表現したいんだぜ」という、おこがましいものではないのです。
僕たちの音楽にほかとは異なるものを感じるとしたら、流通している音楽商品とは違うところを追っているからだと思います。売れているものがすべてよくないと言っているわけではありません。だけど、流行モノに似せることはしたくない。人間と同じく、音楽もそれぞれに独自の個性があるものだから。
もうひとつ(曲作りの)秘密があるとしたら、日本語が持っている物理的な力ですね。
西本:物理的な力ってどういう意味?
青柳:この話をすると長くなるけれど、簡単に言うと、日本語はコミュニケーション手段以上の力を持つ言葉だということです。太古の知恵のようなものが埋め込まれていて、それぞれに力を持っている。だから、歌詞にはなるべく外来語を避けているし、「携帯電話」みたいな無味乾燥な言葉も入れないようにしています。メロディと言葉がかみ合わないときはメロディを変える。昔の歌は当たり前のようにやってきたことですけどね。戦前の歌謡曲や唱歌、童謡には普通にしゃべる言葉と同じメロディがつけられています。
西本:私はアーティストという自意識はなくて、メロディも詩も「書こう」と思っても書けません。旅先などでパッと浮かんだら書き留めるぐらいです。
最近は歌うことのほうに興味があって、必ずしも自分で曲を作らなくてもいいと思っています。いい歌い手になれたらいいなあ、という気持ちが強いです。
青柳:僕たちはプロとアマの区別も意識していません。そういうところとは無関係に音楽をやってきていますから。でも、あえてアマチュアと分けるとすれば、長くやっていることでしょうか。長くやらなければわからないこともあるのです。音楽はこんなに奥が深いのだと気づくと、ますますやめられなくなります。
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