インド人プログラマーの躍進に敗北感と危機感を覚えて、大手IT企業から個別指導塾の経営者に転身した男性がいる。名古屋市天白区の松下誠司さん(39歳)だ。
名古屋大学では数学科を専攻し、大学院ではバーチャルリアリティの研究をしていた松下さん。学生時代から「コンピュータいじり」が好きだった。就職先のNECソフトウェア中部では、大型コンピュータを監視するソフトの開発に従事。しかし、入社2年目に早くも「インド人の脅威」を感じ始める。
「協力会社に所属するインド人プログラマーたちと一緒に働く部署でした。文系出身者の多い日本人のプログラマーと比べて、数学・物理ができる人が多いことにまず驚きましたね。新しい付加価値を生み出すようなプログラミングには、数学や物理の知識を駆使することが不可欠です。彼らはそれを日本人の3分の1の給料でパパッと作ってしまう。しかも英語は堪能だし、中流階級以上の人たちなので礼儀正しさも備わっている。欧米の大学で勉強してきた人もいます。『絶対に勝てないな』と肌で感じました」
松下さん自身は大学院まで理系で学び、知識面ではインド人のシステムエンジニアに引けを取らない。しかし、相手の給料は3分の1だ。開発者として3倍の付加価値を提供する自信はなかった。より上流工程で日本人顧客に接してニーズに応じたサービスを提案する立場に移るべく転職を決める。入社4年後のことだった。
転職先はトヨタテクノサービス(現・トヨタテクニカルディベロップメント)。当初は思い描いた仕事ができていたが、グループの合併・再編によって、車のエンジン制御のプログラム開発などが仕事の大半になった。仕事にするほど車好きになれない松下さんは、35歳ごろには独立を考えるようになる。そして、37歳で会社を辞めた。
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