「人間は生まれながらにして罪人です。罪がある。この罪ってどんな罪? 道徳的・宗教的罪だよね。このことを漢字2字で表現しました」
「原罪」
「そのとおりです。よく知ってるね。さらにね、人間は神様に、特別な恵みで赦してもらっています。その特別な恵みのことを日本語では恩寵というのだけど、英語のほうが有名です。アメ……」
「アメイジング・グレース」
「そうだね。これもアウグスチヌスの言葉です。もう一つ。アウグスチヌスは『告白』という本を書いています。大人になったら読んでみて。この人ね、死んでから1600年とか経っている日本の教科書に出てくるくらい有名な人なんだけど、若いときはひどかったんだ。したい放題、やりたい放題、遊びまくりみたいな(笑)。それがどうしてキリスト教徒になり、こうなったのかということを告白しているんだ」
続いて、「主の祈り」にある「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」という言葉から「こころみ」に注目する。
「こころみ」とは「試練」または「誘惑」の意味を表す。そしてここで魚屋教諭は、「誘惑」という概念について自らの例を持ち出して説明する。
「基本的に私たちはみんな誘惑には弱いですよね。先週の土曜日ね、僕は誘惑に負けました。僕ね、ときどきこの誘惑に負けるんですよ」
聖書の先生がどんな誘惑に負けるのか、生徒たちはわくわくしながら身を乗り出す。そして、魚屋教諭はくるりと黒板に向かい、「柿ピー」と書く。教室が沸く。
「わかる〜!」
コンビニに立ち寄り、そこで柿ピーに誘惑される。まんまと誘惑に負け、買って帰る。さらに封を開け、食べ始めると止まらなくなる。食べ過ぎるとお腹が気持ち悪くなることは経験上わかっているのにやめられない。それも誘惑に負けているということ。
「みんなもわかると思うけど、誘惑が2種類あるんですよ。柿ピーが俺を誘うんだ。それから心の中でも『食っちゃえよ』って誘うんだ。怖いね。誘惑は外からも内からも起こってきます。誘惑については中2で詳しく勉強しよう」
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