「聖書」の教員を打ち負かす強力な誘惑とは?
「キリスト教における『罪』についてまとめた人がいます。この名前覚えるよ。アウグスチヌスです。みんな歴史でローマ帝国のこと勉強した?」
「ちょっと」
「ちょっとか。じゃあね、いずれこれやるから。ローマ帝国の最初の皇帝は、アウグストゥスといいます。この人たち兄弟じゃないよ。時代が全然違うので、区別してくださいね。アウグストゥスは紀元前27年に皇帝になった人です。アウグスチヌスは4世紀後半の人です。なので、これは別の人って押さえたいんだな。アウグストゥスの本名知っている人いる? オクタヴィアヌスっていいます。シーザーの養子なんです。皇帝になってアウグストゥスと呼ばれるんです。そしてアウグストゥスのときにあの人が生まれるんだ。誰? イエスです」
聖書で大事なのはアウグスチヌスのほうである。アウグストゥスは、少なくとも今日の話には関係ない。しかし、世界史において、中学生が混乱しやすいところを、あらかじめ指摘しておく。
「アウグスチヌスのほうに戻っていい? アウグスチヌスはキリスト教の罪だけじゃなくて、キリスト教の教えの内容をまとめた人なんです」
板書はまるで世界史の授業だ。
「ひどい言い方をするとね、イエスは、言いたいことを言って、やりたいことをやって、殺されてしまったんですね。キリスト教という宗教をまとめたのは誰かというと、この人なんです。違う時代に、もう1人いるんですけどね。誰? パ……」
「パウロ」
「そう。ブッダも同じで、その教えを仏教という形にまとめたのは、弟子たちですよね。アウグスチヌスがまとめた教えの内容のことを教義といいます。イスラム教に教義はある? あるよね。仏教に教義ある? あるよね。たとえば、さっきのキリスト教における『罪』ですが、アウグスチヌスはこれをどう説明したかというと、こう説明しました」
板書しながら言う。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら