「ルーヴル美術館でモナリザを見てきて」——14歳の娘をヨーロッパ1人旅へ行かせた母の教育。漫画家・文筆家・画家ヤマザキマリの原点

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ヤマザキマリさん
(写真:『最後の講義 完全版 漫画家・文筆家・画家 ヤマザキマリ』より)
「あなたは今日が人生最後の日だとしたら何を伝えたいですか?」という問いに、各界のスペシャリストが熱い講義を行うNHK Eテレの人気番組「最後の講義」。2024年7月に放送され、大きな反響を呼んだのが『テルマエ・ロマエ』などの作品で知られ、ミラノ・コルティナオリンピック開会式の解説でも話題になったヤマザキマリさんの放送回でした。
ヤマザキさんの講義のテーマは「表現とは何か」。表現に関わる仕事をしている人とそれを目指している若者が聴講生として集まり、熱い議論が交わされました。同番組での未放映分を加え、新たに加筆した著書『最後の講義 完全版 漫画家・文筆家・画家 ヤマザキマリ』より一部を抜粋し、本記事では当日、話されたヤマザキさんの子ども時代のエピソードをご紹介します。

自由奔放な母の教えと日本の教育とのギャップ

私の祖父は銀行員で、早くから海外で仕事をしていたので、母はアメリカナイズされた教育を受けてきました。祖父は1915年から29年の世界恐慌の直前まで、アメリカのロサンゼルス、そしてサンフランシスコとシアトルを転々としながら、当時移民の増加に対応するための日本の銀行の支店創設に携わっていました。

祖父は経済ラッシュのアメリカで、人々の精神の豊かさの象徴として芸術があるということを痛感したようです。なので母は幼いころからバイオリンを習わされ、ついには音楽家という特異な職業に就きました。祖父母はいずれお嫁に行くための嗜みとして母に楽器を習わせていたところもあり、半ば勘当状態で、音楽の道に進む決意に踏み切ったそうです。

だから『フランダースの犬』を読ませこそしたけれど、絵描きになりたいという娘に頭を抱えたわけではありませんでした。やれやれ苦労の道を歩みたいのか、とは思ったそうですが、自分でもそれなりの苦労を経験しながらも満足して生きていたので、娘の将来にあれこれ口出しをすることはありませんでした。

母のことを書いた『ヴィオラ母さん―私を育てた破天荒な母・リョウコ』という本があります。タイトルどおり、非常に破天荒な母親で、本の帯に私が描いた母親の描写があります。

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