「ルーヴル美術館でモナリザを見てきて」——14歳の娘をヨーロッパ1人旅へ行かせた母の教育。漫画家・文筆家・画家ヤマザキマリの原点

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ボサボサの髪を振り乱し、ジャージを着て、片手に楽器、片手に私の子どもを抱えている。実際はもっとまともな見た目でしたけど、母を知っている人に見せるとなぜかみんな、「あ、リョウコ先生!」と反応するのです。だから、内面はこういう感じの人だったということです。

ヤマザキマリさん
ヤマザキ マリ / 日本女子大学 国際文化学部国際文化学科 特別招聘教授、東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』でマンガ大賞2010受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2024年『プリニウス』(とり・みきと共著)で第28回手塚治虫文化賞のマンガ大賞受賞。著書に『ヴィオラ母さん』『ムスコ物語』『歩きながら考える』『扉の向う側』『貧乏ピッツァ』など。現在、『続テルマエ・ロマエ』を集英社「少年ジャンプ+」で連載中(写真:ノザワヒロミチ撮影)

私はある意味ラッキーでした。なぜなら、母は戦争という理不尽と不条理を重ね合わせた出来事を経験しているので、予定調和とか、それまで日本の教育が推奨してきた良き婦女子のあり方とか、そういったものが崩壊するのを目の当たりにしてきました。

それまで何か外国かぶれなことをすれば非国民だと目くじらを立てていた人が、急にアメリカ贔屓(びいき)になっているという、人間の軽率さも熟知していました。

だから社会の制度や世間体というものをあまり信じない人だったんです。

たとえば自分のオーケストラに素晴らしい指揮者がやってきて、素晴らしい楽曲を演奏する日があると、母は我々娘たちに学校を休ませる。今日は学校に行かないで、オーケストラに来なさいと言って、無理やりコンサートホールに連行される。母にとっては、学校の勉強よりもこの子たちのためになるという解釈をいとわない人でした。

母にとっては素晴らしい指揮者によるメシアンやシベリウスなのかもしれませんが、そんな曲は私と妹にとってはつまらなくてしょうがない。それでも無理やり聴かされるのですから、たまったものではありません。だけどそのコンサート強制連行が私にもたらしたのは、音楽を聴きながらさまざまな想像をするというスキルでした。

つまらなくならないように、そうした音楽を物語のBGMとして転換すると、なんとか2時間は持ちこたえられる。それが、漫画家となった今でも、音楽をかけて物語を発想するという仕事のプロセスにつながっています。

14歳でのヨーロッパ一人旅

そんな自由奔放な母親に育てられた私ですが、中学生になり進路指導の先生に将来はどうしたいのか、どんな職業に就きたいのかと聞かれ、何も臆することなく「絵を描くことを仕事にしたい」と答えました。そうしたら先生はびっくりして、私の顔を見ながら「本気で言っているのか?」と確認をしました。

「はい」と答えると、今にも笑い出しそうな顔で「飢え死にするぞ」とひとこと。そもそも絵描きなどは趣味でやることで、生業にすることじゃない。きちんと社会に貢献できる、経済生産性のある仕事を真面目に選べ、というのが彼の見解でした。

美術や音楽は生きていく上でなくてもいいもの、社会に還元できないもの。そう捉えている教師に対して返す言葉がそのときは見つからず、自分が何かとんでもない間違った選択をしているような気持ちになりました。

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