「ルーヴル美術館でモナリザを見てきて」——14歳の娘をヨーロッパ1人旅へ行かせた母の教育。漫画家・文筆家・画家ヤマザキマリの原点
その日、家に帰って母にその話をすると「あ、そう」とそっけない感じでしたが、数日後、突然私に「今度のクリスマスにヨーロッパに行こうとしていたんだけど、用事ができて行けなくなったから、あなたが代わりに行ってきて」と提案をしてきました。ちょっと電車に乗って隣町までお使いに行ってくれる? みたいなノリでした。
自分が行くつもりでドイツとフランスにいる音楽家の友だちにプレゼントも買い、みんなに行くよと伝えているから、今さら行けないなんて言えない。航空券もあるから悪いけどあなたが行ってきてよ、というわけです。
母親が軽いノリでそんな提案ができたのは、私が子どものころから1人で行動したり、1人で移動もできるという免疫が耐性として備わっていることを知っていたからでしょう。
小さいころから東京と実家がある北海道を1人で飛行機に乗って行ったり来たりすることにも慣れていましたから、移動時間はかかるけれど、フランスに行けば一度会ったことがあるフランス人の母の友人が迎えに来ると言うし、「じゃあ、いいか」と2つ返事で承諾しました。それが1981年、14歳の冬休みのことです。
このときのことは、いろいろなところでエッセイにしているのですが、今さらながら、よく1カ月もフランスとドイツを彷徨(さまよ)って、変な人間につかまることもなく無事に帰ってこられたと思います。
ルーヴル美術館で受けた衝撃
母は、この旅をするにあたり、最後にぜひルーヴル美術館へ行ってきてほしい、一度も行ったことがないので、家に飾ってあるレプリカ版「モナ・リザ」の本物をぜひ見てきてほしいと私に頼みました。
その提案も、いや、あの旅自体が、じつは巧妙な母のストラテジー(戦略、企み)で、進路指導の先生に言われた「絵描きではなく、もっと経済生産性がある仕事を選びなさい」という言葉を、自分の頭でどういうことなのか、その本質を日本よりも美術が生活に溶け込んでいる世界に行って考えてこいという、母なりのとてつもなく遠回しな、コスパの悪い教育だったわけです。
母の言うとおり、私は旅の終わりにルーヴル美術館へ行きました。だけど「モナ・リザ」の前は黒山の人だかりで、とても近寄ることができず、遠くから小さく見えるだけです。「まあ、あのおばさんはうちにいつもいるから、いいや」とあきらめてその場を離れたら、いつの間にか古代彫刻が立ち並ぶセクションに迷い込んでいました。
「モナ・リザ」よりも、私にとってはよほどそちらのほうが衝撃でした。2000年も前に、そういうものがたくさんつくられていたこと、そういうものを必要としていた社会があったこと、そして遥かなる時を超えていまだに人々に守られ続けていること、自分のように2000年もあとになって感動する人がいること。
ルーヴル美術館というすごい場所に、とんでもない付加価値をつけられた状態で飾ってあるというのに、それを私の先生は、なくていいものみたいな言い方をしたのはおかしいぞと思ったのです。
帰国後は「フランダースの犬の主人公が飢え死にしたのは、あいつに行動力と、このままではダメだという疑いがなかったからだ。ダメだと思ったら何かほかのことをすればいい。私はきっと大丈夫だ」と、楽観的な気持ちになっていました。
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