TOEIC240点でもアメリカで戦う
――1999年からアメリカに駐在されています。
アメリカには合計して4年いたのですが、最初の2年は店舗の運営をしていました。日本マクドナルドの子会社ですが、アメリカにある店なので現地のチェーンに組み込まれています。本国に店を持つことで、新しいプロモーションや研修の仕組み、設備などを知ることができる。こういったノウハウは、まずアメリカで共有されて、数年遅れで日本にくる。情報をつかむ意味でも重要でした。
僕は日本マクドナルドの経営者という立場で、アメリカに渡りました。ですが、言葉の問題は相当苦労しました。なにせ赴任前に受けたTOEICが240点でしたから。なんとか日常会話ができるようになっても、現地のスタッフは忙しくなると早口でしゃべり出して、ますます英語がわからない。1回、「つり銭がなくなったから補充してくれ」と現地のマネジャーに言われたのに、僕は何を言われたのかわからなくてコップのふたを持ってきた。そうしたら「お前はもういい」と言われたこともありました。
――日本の苦境というのはアメリカでもうわさになっていたのでしょうか。
当時、アメリカにいてあまり苦労話は聞いていません。でも混乱していたのは日本だけではなく、アメリカのマクドナルドも同じでした。日本が低価格ハンバーガーでお客さんの離反を招いた頃、アメリカも売り上げが悪いからプロモーションや新商品をたくさん投入して、現場が混乱してしまう。戦略が伝わらないから当然、数字も残らない。そのことの繰り返しでした。
アメリカのマクドナルドは西部、中部、東部の3つに分かれていて、その中に7~8つの地域本部がある。それぞれの地域本部でいろいろな商品を開発したり、新商品を出していたのでロスも大きかったわけです。
2000年から01年にかけて、アメリカは大々的な組織変更を行いました。アメリカの考え方は「質の高い商品を、質の高いサービスで、お客様に対して提供していきましょう」、つまりQSC(注:クオリティー、サービス、クレンリネスの頭文字で飲食店の基本姿勢)を大事にしようということです。
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