この改革でスーパーバイザーが店舗をチェックする仕組みやミステリーショッパーの導入など、現場の店舗を測定する仕組みを、原点に返って作り直した。そのうえで、商品の絞り込みやマーケティング戦略の立案を本社がイニシアティブをとって整理をして、現場に落とし込んでいく仕組みを作った。これがアメリカの業績がよくなった要因のひとつです。
僕はアメリカでは戦略が混乱して悪くなった時期を見たし、そこからどこをどう変えたからよくなったかも間近に見た。これは自分の大きな引き出しになりました。帰国した2003年に、原田泳幸さん(現社長兼会長)がトップになりました。最初の1年ぐらいはマーケティングをやって、その後2年ぐらいかけて米国でやっていた改革を日本に導入する責任者を務めました。
――どんなプロジェクトだったのでしょうか。
これは社外秘なので具体的には教えることはできません。ただ、ポイントは戦略を絞り込んだということです。マクドナルドもそうですが、本社はいろいろなことを考えます。当時は本社だけでなく、各地域本部でも販売促進クーポンの配布などを考えていました。こういった計画は本社や地域本部からすれば、店舗に向かって指示を出すだけですが、店舗からすると、五月雨式に本社や地域本部など、あちこちからいろんな指示が降ってくることになるので、運営に集中できないということがありました。
そこで、われわれのプロジェクトチームが店舗にとって最適な戦略カレンダーになるように、数カ月先までスケジュールをチェックして、優先度をつける仕組み作りをしました。たとえばマーケティングチームが「4月に新商品を投入しよう」と提案したら、「今度は新しいPOSレジの導入があって店舗は対応に追われているから、新商品は5月にずらしましょう」と調整します。
ハンバーガーからドーナツへ
――その後、クリスピー・クリーム・ドーナツの日本法人設立をされています。
2006年6月にクリスピー・クリームに移りました。僕はマクドナルドで楽しく仕事をしていたので、辞めようとは全然思わなかった。でもアメリカで会ったリヴァンプの澤田貴司さんに突然「クリスピー・クリームの社長をやりませんか」という話をいただいた。断って後悔するよりもやって後悔したほうがいいと思って引き受けることにしました。
クリスピー・クリームは店どころか会社すらない状態でした。何に苦労したかと聞かれれば、原材料の認可です。たとえばドーナツの中に入れるジャムは日本で調達してもいいので、業者さんに持って来てもらって、僕らが味見してOKだったらそれでいい。でもオリジナルレシピのドーナツは専用の小麦やフレーバーを絶対に使わなければならない。こういうローカライズできない原材料の数々をどうやって輸入するかにいちばん苦労しました。
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