「客は見ていなくても神は見ている」
仕事を通り越し、執念の域に達したのが、アルバイト時代にたたき込まれたQSC(クオリティー、サービス、クレンリネスの頭文字で飲食業の基本姿勢)の管理姿勢。マクドナルドに入ってくる社員は皆が皆、高い理想を持っているわけではない。会社に入って、QSCの基本をたたき込まれることで徐々に高い理想を持つようになっていく。だから有本には悪気はないがQSCの水準が低いと怒りが湧いてくる。お客がいる手前、怒鳴ったりはしないが、ズバッと指摘することでアルバイトの女性をよく泣かせていた。アルバイトが「誰もこんなところ見ませんよ」とぶつぶつ言いながら掃除しているのに対し、「客は見てなくても、神は見ている」というのが口癖だった。有本も今は「部下には迷惑をかけた。お客さんにも少し」と反省している。
ついに迎えるマック「苦難の時代」
10年間、現場主義を貫き各地で店長を続けた後、店舗を統括するスーパーバイザー(SV)に昇進。中央線沿線の杉並周辺の店舗を担当した。時は外食全盛期。さまざまなブランドが成長を遂げた。その中でも断トツの伸び率を示したのがマクドナルドだった。80年に500億円だった全店売上高は91年に2000億円に達した。1店舗当たりの年商は2億円を超えており、現在の1.6億円をはるかに上回っていた。
だが、マクドナルドの好調もピークを迎える。バブル崩壊や大量出店による自社店舗競合を起こし、店舗当たりの売上高は減少傾向に転じる。特に有本がハンバーガー大学の学長に就任した99年は、マクドナルドにとって苦難の時期だった。
当時のマクドナルドが打ち出していたのはサテライト出店戦略。ショッピングセンターやスーパーなど商業施設内に小型店舗を次々と出店することで、店舗数を拡大する戦略だった。2004年からトップを務める原田泳幸がのちに大胆なリストラで大量閉店をすることになるが、当時はこの戦略を前面に据え、年間300店以上の大量出店を実施していた。
この大量出店をまかなうためには、従前の正社員だけではとても足りない。アルバイトのスイングマネージャー(注:店舗運営や店内作業を任されているアルバイトのリーダーのこと)が店長代理としてサテライト店の運営を担当することが実態となっていた。当時、有本たちが社内で議論していたのは「どうやってアルバイトの主婦を3ヶ月で、ショッピングセンターの中のフードコート店で店長代理ができる水準に引き上げるか」ということだった。
ハンバーガー大学の学長に
そのためには大量のスイングマネージャーを育成する必要がある。通常は1年かかるスイングマネージャーの育成を一気に3カ月まで圧縮するなどカリキュラムを大胆に見直した。また正社員のものだけだった研修もアルバイトにまで対象を広げた。全国数千店舗に存在するスイングマネージャー候補を地域ごとに集め、地元の公民館などを借りて一斉に研修を実施した。
有本はハンバーガー大学に行く前に、在籍した部署でメイド・フォー・ユー(注文を受けてからハンバーガーを作るシステム)やサテライト出店戦略の準備に当たっていた。年間数百店規模の出店をまかなうには、人材の育成が欠かせない。そこでサテライト戦略に合わせた研修の仕組みづくりを命じられ、ハンバーガー大学に配属となった。
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