――入社したのは1986年、マクドナルドはどういう状況だったのでしょうか。
まだまだ伸び盛りという感じですね。朝マックを始めたばかりでした。世間はと言えば、バブル真っただ中でしたが、僕は365日働き通しだったので、あまりバブルな感じは知りません。
入社して4年半は一番下っ端のセカンドアシスタントマネージャーという職種でした。そもそも“セカンド”というくらいですから、その上にはファーストがいます。当時は、優秀な奴は3年で店長になると言われていたことからすると大きく出遅れてしまいました。
出世が遅れたのは、僕の性格なんだと思います。大阪の商売人の家に生まれたということもあり、人見知りせずズケズケと意見を言います。だから、上司のことを「アホだ」と思ったら正面からけんかをするから、評価も非常に低くなってしまいました。ようやく店長になれたのが、1990年のことでした。その後、大阪、奈良、京都など近畿地方を中心に店長を経験してきました。
小型店でも大型店と同じ売上高を!
1990年代ののマクドナルドはサテライト戦略を掲げていて、小型店を年間300店舗以上出店していました。そこで売って売って売りまくりました。
たとえば、ひらかたパークという遊園地内にあるサテライト店で言うと、単月の売上高が2800万円。通常の大きさの店舗の売上高が単月で3000万円でしたから破格の売上高だと思っています。
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