原田泳幸の勅命で東京に赴任
――原田さんに呼ばれて、2005年11月に東京の営業本部長になった。当時、東京はどんな状況だったのでしょうか。
当時のマクドナルドは原田さんが2004年にトップに就任して、業績が折り返して底をついたころ。でも東京はひどい状況でした。都内のほとんどの店が赤字。冗談で「新宿と渋谷を全店閉店したらどれだけ利益が出るのか」ということが言われていたほどでした。東京の店は家賃が高くて人件費も高いから損益分岐点がとにかく高い。月商3000万円売っても赤字という店がありました。対処療法は、とにかく売り上げを上げて、無駄なコストを一切使わない。ただそれだけ。
誰も本気を知らなかったんだと思います。たとえば東京で店長をやっている社員は、多分入社して10年目ぐらいですが1度も利益を出したことがないという店長が多かった。そんな社員が利益を出そうと思うことはほとんどありません。
そもそも都内の店舗の大半が、慢性的なクルー不足でした。クルーの充足率が80%でも、そこそこ運営することができる器用な店長が多い印象でした。だから、エリアでいちばんマシな店にはできるかもしれないけど、お客さんに喜んでもらえるレベルの店舗になりようがないんです。それは僕の理想とは全然違います。
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