ハンバーガー大学とはマクドナルド内にある社内大学のことだ。ハンバーガー大学はハンバーガーの作り方を教える場所ではない。QSCは現場でたたき込み、ハンバーガー大学ではコミュニケーションやリーダーシップを教える点に特徴がある。
日本では1号店のオープンより1カ月前の71年6月に開講した。マクドナルドは世界119カ国で展開するが、ハンバーガー大学があるのはアメリカ、日本、イギリス、ドイツ、オーストラリア、ブラジル、中国の7カ国だけ。日本の場合は本社のある新宿アイランドタワー38階に置き、年間1.4万人が受講する。ハンバーガー大学は現場を熟知している社員が配属される。有本が学長に就任した当時は「憧れる人が多い部署だった」という。
だが、低価格戦略やサテライト出店の失敗が響き、研修に来る人たちの表情が段々曇りがちになってきた。「自信をなくしている」――。「会社の将来が不安だ」とか、「売り上げが良くなかい」と疲労感たっぷりに弱音を吐く社員が増えた。
「65円バーガーがイヤだった」 マックからユニクロへ
有本はハンバーガー大学の学長を経た後、ユニクロに移った。アルバイトを始めた75年にはハンバーガー1個の値段は150円、バイトの時給は300円だった。2000年にハンバーガーの値段は65円に下がったがバイトの時給は3倍近くになっている。とにかく「65円ハンバーガーが嫌だった」。
さまざまな転職先の中からユニクロを選んだ。当時のユニクロは80年代のマクドナルドを彷彿とさせるような猛烈な出店攻勢を展開している。戦線拡大に伴う人材育成が急務だった。いくつかある転職先候補の中からユニクロを選んだのは柳井正という創業者の魅力だ。「1時間ほどの面談で転職を決めた」。
当時のユニクロ大学は研修に重点を置いていた。スタッフは現場のことを熟知しており、ユニクロに対するロイヤルティが高かった。マクドナルドにもユニクロにも「愛があり、細かいことにこだわっていいものを作っていこうというカルチャーがある」と有本は言う。マックにあってユニクロになかったもの、それは人に対するコミュニケーションやリーダーシップといった人材育成の視点だった。
有本はハンバーガー大学で得たコミュニケーション研修のノウハウをユニクロ大学に注入する。ほかにも研修のカリキュラム作りやアルバイトの教育ツール、DVDやハンドブックの作成をした。3年ほど勤めてユニクロを去った。「ユニクロは会社が大きい。自分の仕事は教育の仕組み作りだけになってしまう」。
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