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キャリア・教育 #『未完の名宰相 松平定信』

「べらぼう」の「儒教バトル」の真実 「物語化」で見落とされた「蔦屋に対する刑罰」の妥当性 「政治権力vs.メディア」という皆目見当違いなストーリー

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  • 大場 一央 中国思想・日本思想研究者、早稲田大学非常勤講師
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さて、ここまで登場していない定信は、史実において古典を用いてどのような議論をしていたのか。彼の著作である『国本論』には、次のようにある。

「君主が暖かい着物を身にまとい、お腹いっぱいになるまで食事できるのは、誰の功績であろうか。民の功績である。もしも民が田畑を耕さず、機織りをしなければ、君主も飢え凍えてしまうことは免れない。もしも君主がみずから田畑を耕して食べ、機織りをして着れば、それはもう民であって主君ではない。そうであるならば、身分の差などは職業の違いに過ぎず、民が君主になることもあり、君主が民になることもある。絶対に変わらない君主の家柄、絶対に変わらない民の家柄などというものはない。(中略)この道理をよくわきまえ、深淵に立ったり薄氷を踏んだりするような緊張感があれば、ながく天から与えられた仕事を果たすことができる。『書経』に「匹夫匹婦、不獲自尽。民主罔与厥功」と言っている。」

『書経』の言葉は「匹夫匹婦もみずから尽くすを獲ざれば、民主、与に厥の功を尽くす罔し」と読み、「あらゆる人々が自分の全力を尽くせるような環境をつくれないならば、民と君主が共に協力して事業を成功させることはできない」という意味である。

朱子学のいう「寛容さ」とは

定信は「囲米」「七分積金」によって、地方と都市の中小業者を保護育成し、安定した「中間層」が主体となる社会をつくろうとした。それと同時に、「倹約令」や「出版統制令」によってマネーリテラシーを普及し、言論の成熟を促した。

これらは国民の経済的自立と精神的自律によって、全国民に居場所と役割をつくりださせ、下から社会を支えようとした政策であり、その環境づくりこそ上に立つ者の仕事であると考えていた。これが「民主、与に厥の功を尽くす」である。そこでは生まれつきの身分差を超えた、同じ人間としての協働作業が存在したのである。

朱子学のいう寛容さとは、身分差を超えた同じ人間としての「信」であり、どんな人間でも許すという博愛精神ではない。全ての人間に等しく可能性を見いだすことが「中庸」なのである。

古典の言葉とは本来、みずからに向けて発せられるものである。「深淵に立ち薄氷を踏む」緊張感をもった定信が行った政治とは何か、真摯に向き合う時代が来てほしい。

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