さて、ここまで登場していない定信は、史実において古典を用いてどのような議論をしていたのか。彼の著作である『国本論』には、次のようにある。
『書経』の言葉は「匹夫匹婦もみずから尽くすを獲ざれば、民主、与に厥の功を尽くす罔し」と読み、「あらゆる人々が自分の全力を尽くせるような環境をつくれないならば、民と君主が共に協力して事業を成功させることはできない」という意味である。
朱子学のいう「寛容さ」とは
定信は「囲米」「七分積金」によって、地方と都市の中小業者を保護育成し、安定した「中間層」が主体となる社会をつくろうとした。それと同時に、「倹約令」や「出版統制令」によってマネーリテラシーを普及し、言論の成熟を促した。
これらは国民の経済的自立と精神的自律によって、全国民に居場所と役割をつくりださせ、下から社会を支えようとした政策であり、その環境づくりこそ上に立つ者の仕事であると考えていた。これが「民主、与に厥の功を尽くす」である。そこでは生まれつきの身分差を超えた、同じ人間としての協働作業が存在したのである。
朱子学のいう寛容さとは、身分差を超えた同じ人間としての「信」であり、どんな人間でも許すという博愛精神ではない。全ての人間に等しく可能性を見いだすことが「中庸」なのである。
古典の言葉とは本来、みずからに向けて発せられるものである。「深淵に立ち薄氷を踏む」緊張感をもった定信が行った政治とは何か、真摯に向き合う時代が来てほしい。
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