「財政再建と減税の両立」に成功した「最強の宰相」松平定信 それでもなぜ、彼は江戸の庶民に嫌われたのか

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「財政再建と減税の両立」に成功した松平定信。今こそ彼に学ぶときかもしれません(写真:muroro/PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」でも描かれるように、田沼意次は「積極財政」派、松平定信は「緊縮財政」派と対照的に描かれることが多い。本当のところは果たしてどうだったのか。『未完の名宰相 松平定信』著者の大場一央氏が、その実像に迫る。

「積極財政の田沼」vs.「緊縮財政の定信」?

「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では田沼意次が退場するにあたり、武士の中では低い身分出身の田沼と、生まれつき高位の反対派とが対置され、田沼が庶民に近いことが暗示されている。

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それは田沼が積極財政を推し進め、庶民の生活にとっては良い影響を与えていたという、最近の論調と結びつくものであり、蔦屋重三郎が田沼を支持する根拠となる。

ひるがえって定信の改革は財政再建にこだわって景気を悪化させ、庶民を苦しめたという話も予感させるものである。

果たしてそれは本当だろうか。両者の経済政策について見てみたい。

田沼はその出自が紀州藩士であったこと、親子二代で吉宗に仕えていたこともあり、吉宗の「享保の改革」を踏襲している。

享保の改革は支出削減のための「倹約令」、年貢増徴をねらった「新田開発」、事実上の増税となる「定免法」、諸大名から米を徴収する「上げ米」、貨幣の純度を上げるための「元文の改鋳」、市場に介入するための「株仲間」公認、金銭貸借訴訟を放棄する「相対済令」が主軸となる。

要するに、政府支出を限りなく切り詰め、公共投資以上の増税によって収入を増やし、物価を下落させて相対的な米の価格上昇を引き起こし、大商人を優遇して高利貸しを黙認することで、徹底した財政再建をねらった政治であった。

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