「商人に握られた権力を幕府が取り返す」 大河【べらぼう】老中・松平定信が文武奨励策を推進した納得のワケ
文武奨励を“やかましく”言った理由
徳川幕府の老中首座となった松平定信は、老中就任の翌年(1788)正月、霊厳島吉祥院(東京都中央区新川)に願文を捧げます。その中には、自身と妻子の命に代えて「金銭や米穀がよく流通し、下々の者が困窮に陥らず、(幕府将軍の)威信や仁恵が行き届き、中興が成就すること」との文言があります。定信のまじめさや、本気度がよくわかります。
ちなみに、定信は同じ年の3月にも、白河城内の祖廟に対し、同じような内容の願文を提出したと言われています。
これら願文からは、定信は、金銭や米穀の流通や物価の上下が商人により握られていると感じていたことが分かります。「金穀の柄(権力)」が商人に握られているので、それを幕府が取り返す。そして、民衆を困窮から救うことを定信は願ったのでした。
定信は商人の力の増大が、武士の「義気」(義侠心)を衰えさせていると考えていました。義気の衰えを回復させるために、定信は文武を盛んにしようとします。文武が盛行すれば、武士の行儀や悪習が改まり、義気が回復するだろうと考えたのです。


















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