「商人に握られた権力を幕府が取り返す」 大河【べらぼう】老中・松平定信が文武奨励策を推進した納得のワケ
また、定信は中国の漢や唐王朝末期の状況を例に挙げ、警告しています。
天災や地変がしきりに起こっているにもかかわらず、仁政を民衆に対して行わず、為政者は欲をたくしくしている。そうであるのに、前述の中国の皇帝は、民衆から重税を課す。そして、ついには国を滅ぼしてしまった。
真意は「田沼政治」への非難
定信は中国の王朝の事例を書いてはいるのですが、実はこれ、田沼意次による「田沼政治」への非難と考えられています。ケラや蟻のような虫でさえも、冬になれば食物を蓄える「智」があるのに、それをしない為政者(大名)は一体何なのだとも定信は書いています。飢えた民衆は、その父母妻子を養うことができないが、そのような民衆にどうして道徳を説くことができようかと定信は述べていますが、民衆を飢餓から守ることこそ、為政者の本分と思っていることがわかります。
定信の祖父は「米将軍」と呼ばれた8代将軍・徳川吉宗ですが、定信はそのDNAを受け継いだと言うべきでしょうか。
四書五経の一つの「礼記」王制第5編には、「国に9年の蓄え無きを不足と言い、6年の蓄え無きを急と言う。3年の蓄え無きを、国、その国に非ずという」という言葉が記されていますが、定信は意見書において、この言葉を引いています。
今年(天明7年)は豊作だから安心と胸をなで下ろすような思考は、定信にとっては論外のものでした。定信は幕府の首脳部の1人でしたが、当時の幕藩体制を「国に非ず」と見なしていたと考えられます。危機的状況の体制をどのように立て直していくかが、定信に課せられた使命だったのです。
(主要参考文献一覧)
・藤田覚『松平定信』(中公新書、1993年)
・高澤憲治『松平定信』(吉川弘文館、2012年)
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