「ラーメンの神様」に弟子入り《東池袋大勝軒の味を守る男》の凄さ―“自己流”の限界を突破するのに有効な“弟子入り”という学び方

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

そう言えば、筆者も東京に住んでいた頃に北尾さんの事務所を間借りさせてもらっていた8年間は楽しかった。「締め切り間際の編集者との攻防を楽しむ」とか言いながらなかなか原稿を書こうとしない北尾さんとの膨大な雑談の中で、ライターとしてだけでなく人として大事にすべきことなどを学ばせてもらった気がする。

田内川さんと山岸さんもそんな関係だったのではないか、と北尾さんは推測する。1976年生まれの田内川さんの実家は東京都豊島区の大塚にある。山岸さんの東池袋大勝軒までは徒歩10分で行けて、子どもの頃から常連客だった。子どもがいない山岸さんにとっては数ある弟子の中でもひときわ可愛い存在だったのだろう。

田内川さんの若い頃

学生時代は千葉県勝浦市のビーチでバナナボート屋を「起業」して荒稼ぎしていた田内川さんは、「マスター」と呼ばれる山岸さん率いる大勝軒に修業に入った時点でも「一発当てて高級外車を乗り回したい」という山っ気が強かった。しかし、弟子同士が激しく競い合う厨房で鍛えられる日々の中で、製麺室の片隅に落ちていた昔のメニュー表を拾ったことをきっかけに変わっていく。

「大勝軒はつけ麺とラーメンが人気になり過ぎたので他のメニューが消えていった町中華なんだね。

修業を重ねて料理することが面白くなっていた田内川くんが古いメニュー表を見つけて、山岸さんの自宅を突然、訪ねたんだ。『マスター、これ、何ですか?』と、あれこれ考えずに即行動するところが田内川くんのいいところだし、最愛の奥さんを亡くして持病も抱えていた山岸さんの町中華魂に火がついた瞬間だったと思う。

山っ気も多かった田内川くんが変われたのは、この行動がすべてだったと僕は思うね」

当時の田内川さんは朝から晩まで厨房に立つ修業の身。にもかかわらず、毎日のように仕事終わりに山岸さんの家を訪ね、昔のメニューについて教わったことをノートに記録して自宅で実践をすることを繰り返した。その結果としての心境の変化について、北尾さんの新刊から再び引用する。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事