「『英文解釈教室』は英語の参考書だったのですが、僕にとっては日本語の本だったんです。この本を読み解こうとすることで、言葉を論理的に読む訓練ができて、日本語も論理的に書けるようになりました。それが作家になった今も生きています。
また、Z会が受験直前に檄文を送ってくれたのをよく覚えています。巻紙のような横スクロールの紙に筆文字の草書縦書きで『ついに勝負の日が来た。Z会に挑み続けたこの1年は決して無駄にならない。自信を持て』と延々と激励する長文でした。あのころZ会やってた人はみんな覚えてると思う。
こっちは自宅浪人だし、孤独ですよ。その孤独な1年間を、Z会がほめてくれてるような気がした。当時はネットがある今の時代のように周囲の受験生の存在がわかりませんでしたが、全国津々浦々の人が、同じように問題を解き続けてきて、その上で同じ日に同じこの文章を見ているのだと思うと涙が出そうになりました。気持ちが昂ぶっていたんですね」
2浪してから真剣に勉強に向かいあった増田さんは、この年の共通1次試験では、1000点中765点と北海道大学の受験生のボーダーライン程度の点数を獲得します。
「850点くらい取って思いきり逃げ切ってやろうと思っていたので失敗でしたが、2次の底力がついていたので、さすがにもう落ちないだろうと思った」。
「英語と理科は満点近くを取る自信があった」と語る当日の試験は、数学の試験を白紙で提出したそうですが、数学の失点をカバーできたそうで、2浪でようやく北海道大学水産学部に入学して、「七帝柔道」を始めるスタートラインに立つことができました。
新聞記者→作家に
2浪で北海道大学に入った増田さんは、大学4年生で最後の七帝戦を終えるまで七帝柔道に懸ける日々を過ごし、同級生が卒業する3月末日で北大を中退。

大学4年生の11月から働いていた北海タイムス社にそのまま就職し、新聞記者になりました。そこで2年働いて中日新聞社に転職し、在職中に執筆した『シャトゥーン ヒグマの森』で40歳で作家になります。
2016年に24年間勤務した中日新聞社を早期退職した後は、専業作家となり、2025年3月には、構想・執筆に10年を費やした新刊『警察官の心臓』を上梓しました。
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