「そもそも当時の旭丘の男子は1浪が9割、2浪以上が3割もいましたから。みんな高校時代はやりたいことをやって、浪人してから一気に受験勉強をこなしていた。浪人してから、車でいえばターボチャージャーに空気を過給し、戦闘機でいえばアフターバーナーに火を付けていたわけです。
でも、メインエンジンが弱ければ、ターボが効いてもアフターバーナーが噴射されても大きな推進力は出ない。そういう意味で、高校時代に授業ではなくて自分の好きなこと、たとえば僕だったら大量の読書や柔道ですし、ほかの友人たちだったら演劇だったり音楽だったりスポーツだったり、そういったものに徹底的に打ち込んだのがメインエンジンの排気量を上げていたと思います」
1浪でも読書や映画三昧で過ごして受験勉強をしなかった増田さんのこの年の共通1次試験の結果は1000点中695点と、ほんの少しだけ前回より上がっていたものの、またしても惨憺たるものでした。
北海道大学にはまったく届かなかった増田さんは、予定していた通り2浪に入ります。
「今度落ちたら縁を切る」と友人から言われる
2浪目は自宅で浪人することを決めた増田さんは、「勉強していないくせに、親に『もう1回やらしてください!』と土下座した」と当時の思い出を振り返ります。
しかし、2浪生活を始めるとき、まだまだのんびりしていた増田さんの意識が変わるきっかけがあり、その際に運命の参考書との出会いも訪れます。
1浪で名古屋大学医学部に合格した友人に、「今度落ちたら縁を切る。情けない」と言われたのです。この発言にはさすがにのんびり屋の増田さんもびっくりしましたが、その友人はこう続けました。
「英語はこれだけやれば、東大でも医学部でも軽く入れるから、全部やれ。あとはおまえのことは知らんからな。勝手にしろ」
そう言って、増田さんが渡されたのが、当時駿台予備校で“受験英語の神様”と謳われていた伊藤和夫先生の『英文解釈教室』と、Z会が通信添削の解答と解説のために出していた『増進会旬報』だったのです。月の《上旬》《中旬》《下旬》と10日に1回送られてくる旬報は、1年間で三十数冊ほど増田さんのもとに送られてきました。
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