中国・明王朝の大事件「魚呂の乱」で約3000人が死刑に 発端は後宮での"女の恨み"、数百人は冤罪…残虐な殺害方法に怯えて自害する者も

側室の嫉妬から始まった、中国の後宮史上最も陰惨な事件の一つについて解説します(写真:kohei13/PIXTA)
中国王朝に長く存在した、後宮。歴代の王朝を“裏”から支えたとされ、密室である内部には后妃および彼女らに使える宮女や宦官がひしめき、100人を超える皇帝がそこで誕生した。後宮には、どの時代も色恋や陰謀が渦巻いており、この舞台をきっかけに大きな歴史が動くこともあった。
そんな後宮に焦点をあてた、明治大学法学部教授の加藤徹氏による新書『後宮 宋から清末まで』より、明王朝の時代に起こった凄惨な事件の実態をお伝えする。
中国皇帝に献上された「朝鮮貢女」の歴史
中国の後宮史上、最も陰惨な事件の一つである「魚呂(ぎょりょ)の乱」は、明王朝の第3代皇帝・永楽帝の時代に起きた。このスキャンダラスな事件は「呂魚の乱」「呂魚の案」などとも言う。
朝鮮半島の歴代の王朝は、新羅(しらぎ)から朝鮮王朝まで、宗主国である中国の皇帝に美女を献上し、忠誠心を示した。朝貢品として女性を献上すること、および献上された女性のことを「貢女」と呼ぶ。
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