中国王朝「金」の皇帝・海陵王、その"異常すぎる"荒淫ぶり 妃だけで12人、母と娘や姉妹にも手を出し、妊娠中の侍女には…

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後宮 宋から清末まで
金の第4代皇帝・海陵王の無軌道な猟色ぶりは、常軌を逸していた(写真:せいちゃん/PIXTA)
中国にしか現れなかった特異な空間、後宮。歴代の王朝は次々と変わっていったが、絶対的な権威と権力をあわせもつ一人の支配者が君臨する中央集権的な統一国家、という中華帝国のシステムは続き、それを後宮が支えた。
その後宮から中国史を描く初めての新書『後宮 宋から清末まで』(明治大学法学部教授・加藤徹著)より、今回は征服王朝のひとつである金の第4代皇帝・海陵王(かいりょうおう)のとんでもない荒淫ぶりについて紹介する。

金の後宮では何が起きていたのか

正史『金史』列伝第一・后妃上によると、金の初代と二代目の皇帝は、遊牧民族そのものだったので、妻たちにはまだ漢族王朝のような位階の称号はなかった。第3代の熙宗のとき、正夫人は皇后、側室は貴妃・賢妃・徳妃の位階に分かれたが、まだ簡素だ。

第4代の海陵王は好色で、後宮に多くの女性を入れた。皇后以下、元妃・姝妃(しゅひ)・恵妃・貴妃・賢妃・宸妃(しんぴ)・麗妃・淑妃・徳妃・昭妃・温妃・柔妃など十二の位階を定めた。

漢族王朝と同じ名称もあるが、女性の色香を強調する名称もある。「姝」はみめよい、「麗」は美しい、の意。漢語では、モチモチした肌をもつ女性を「温柔郷」と呼ぶが(日本では遊里の意にも使う)、「温妃」と「柔妃」はそれを連想させる。

実際、海陵王の無軌道な猟色ぶりは、常軌を逸していた。

海陵王(1122年〜1161年)の女真名はテクナイ(漢字では迪古乃)、漢名は「亮」である。「海陵王亮」や「完顔亮」とも呼ばれる。日本では、作家の駒田信二が歴史小説『私本・荒淫王伝(こういんおうでん)』で、海陵王の淫虐非道の人生を描いている。

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