中国王朝「金」の皇帝・海陵王、その"異常すぎる"荒淫ぶり 妃だけで12人、母と娘や姉妹にも手を出し、妊娠中の侍女には…
海陵王はもともと、年下のいとこで第3代皇帝の熙宗の宰相だった。野心家だった彼はクーデターを起こして熙宗を殺し、第4代の皇帝となったのだ。
金の建国後に太祖の孫として生まれた海陵王は、幼少期から中国の芸術や文学に心酔した。彼は、南宋の臨時首都・臨安(現在の杭州市)の風光明媚な近郊を描いた絵を入手し、次のような漢詩を詠んだ。
万里車書尽混同 万里の車書 尽(ことごと)く混同し
江南豈有別疆封 江南 豈(あ)に疆封(きょうほう)の別有らんや
提兵百万西湖上 兵 百万を提(ひっさ)ぐ 西湖の上(ほとり)
立馬呉山第一峰 馬を立てん 呉山(ごさん)第一峰に
大意は──私の夢は始皇帝になること。天下の文物制度を統一すること。美しい江南の地は、今はまだ南宋の領土だが、必ず手に入れる。私は百万の大軍を率いて、臨安郊外の西湖のほとりに行く。呉山の最高峰に軍馬でのぼり、天下を見下ろすのだ。
海陵王は南宋攻略に備えて、金の首都を会寧府(かいねいふ。現在の黒竜江省ハルビン市)からずっと南の燕京(えんけい。現在の北京市)に移した。皇帝独裁を確立し、金を強大な軍事国家にするため、大規模な血の粛清を行った。宗族や臣下、「靖康(せいこう)の変」で宋から拉致してきた人々や、金が滅ぼした遼の生き残りを、どんどん殺していく。
殺した者の妻や娘が美しければ、すべて自分の後宮にいれた。
海陵王、驚きの淫虐ぶりを発揮
元の末にまとめられた正史『金史』列伝第一・后妃上は、海陵王の淫虐ぶりを詳述している。以下その一部を紹介する。
・海陵王がまだ宰相だったころは「妾媵(しょうよう)」は数名ていどにすぎず、普通だった。ちなみに「妾」は側室の意。「媵(おくりめ)」は正室の身内の女性である侍女の意で、正室が妊娠できぬ場合は媵が代わりに妊娠・出産した。妾の子は庶子だが、媵の子は嫡子として扱われる。
・海陵王は即位すると色欲のおもむくまま、後宮に女性をいれた。諸妃は前述のとおり12人。昭儀から充媛(じゅうえん)まで9人。婕妤(しょううよ)・美人・才人が3人。以下、数えきれぬ女性を囲った。
・海陵王は母と娘、姉と妹など、手当たりしだいに女性に手を出した。海陵王は寡婦の蒲察阿里虎(ありこ)を後宮にいれて昭妃としたが、阿里虎の娘・完顔重節(じゅうせつ)とも関係をもつ。阿里虎が怒って娘の頰を打つと、海陵王は阿里虎を疎んじた。
・海陵王の後宮では、侍女は男装させられ「仮廝児」(かしじ。にせの少年の召使い)と呼ばれた。昭妃の阿里虎は、勝哥(しょうか)という名の男装の侍女と、夫婦同然の同性愛関係になった。台所の下女の三娘が、これを海陵王に密告した。海陵王は阿里虎をとがめず、彼女に「三娘を鞭で打つなよ」と言っただけだったが、阿里虎は、秘事を密告した三娘を鞭で打ち殺させてしまう。海陵王は怒り、人をやって阿里虎をくびり殺させ、三娘を打ち殺した侍婢も殺した。
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