禅僧が勧める「丁寧な暮らし」をつくる5大習慣 だらしない自分を律する「心」より大切なこと

✎ 1〜 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 5 ✎ 6
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
空を見上げて座禅をする僧侶
僧侶が一般の方と違うのは、ぐずぐずとだらしなく生活が崩れていかないよう、自分に「箍(たが)」をはめていることです(写真:TASUKU / PIXTA)
あれもこれもと心配ごとが多すぎて、身動きがとれなくなっているのが現代人。どうしたら、不安に囚われることなく、「今、この瞬間」を全力で生きることができるのでしょう。
新著『考えすぎないコツ』では、禅僧であり世界的な庭園デザイナーでもある枡野俊明さんが、「頭をからっぽにして、心を無の状態にする」ためのヒントを解きます。
本稿では、同書から一部を抜粋してお届けします。

僧侶だって欲はある

人間は根本的に弱い生き物だと、私は思います。

『考えすぎないコツ:「気づいて」「ほどいて」「放っておく」人生を軽くするシンプルな本質』書影
『考えすぎないコツ』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

健康のためお酒を控えよう、食事を制限しよう。そう思っても、いざご馳走を目の前にすると暴飲暴食してしまう

あるいは、子供を叱らない親であろうと心がけているのに、大声をあげてしまう。「今日はここまで終わらせる」と決めた仕事があるのに、手をつけようとしない。

締まりがない、だらしがない」といえばその通りですが、その人が特別だらしないのではないはず。人間とはそういうふうに生まれついているのだと、私は思います。

あなたも、私も、「何でも自由にしていていいよ」と許されるなら、際限なくだらけていくのではないでしょうか。その点では、僧侶も一般の方々も同じです。僧侶は自制心がありそう、無欲そうといったイメージがあるかもしれませんが、ご馳走が目の前に並べば喉がなります。これは仕方がないことです。

しかし、仕方がないからといって、だらける一方の状態を放置しては、心身ともに健やかではいられないのも、また確かです。

次ページ生活に「箍」をはめる
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事