「思いが強いほどよい」とは限らない
新しい年が始まりました。
今年こそは、理想の自分に近づくために努力しようと思っている方も多いのではないでしょうか。
しかし、「こうあるべきだ」という強い気持ちが、かえって心を縛り、息苦しさを感じさせることもあります。
そんな時に役立つのが、禅が教える「行動の知恵」です。
本記事では、肩の力を抜きつつ、一歩ずつ前に進むためのヒントをご紹介します。
ああなりたい。こうなりたい。ああすべきだ。こうすべきだ。
こうした思いの強さは、すなわちその人の成長意欲、信念、責任感の強さを示しているといってもいいでしょう。しかし、思いが強ければ強いほどよいとは思いません。
なぜなら「~するべき」という思いは、見方を変えると「執着」であり、一つの考えに「囚われている」とも言えるからです。
この執着は、ときに心を固くさせ、人を追い詰める危険をはらんでいます。
人は「~するべき」なのにできないとき、自分を責めてしまうからです。
例えば、多くの人は「健康のために毎日運動するべき」だと知っています。
一方で、仕事に家庭に忙しく、なかなか運動を続けられないのが現実です。
「今日から運動するぞ! ダイエットするぞ!」と宣言したところで、三日坊主で終わることがほとんどでしょう。
それでも普通の人は、「まあ、今日は疲れてるし、仕方ないよね!」と気楽に構えていられるもの。
長い人生を健やかに生きていくためには、そうしたいい加減さ、おおらかさも必要です。
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