どうにもならないことは「ああなりたい。こうなりたい。ああすべきだ。こうすべきだ」といった執着を捨て、そのまま受け入れるほかありません。
そのあとにできることはといえば、「どうにかなるさ」とつぶやいて、状況に流されることだけ。
空を見上げ「どうにかなる」とつぶやく
このようなしなやかな精神を、禅では「柔軟心(にゅうなんしん)」と言います。状況に流されるといっても、「そのまま流されていろ」という話ではありません。
いったん流されてみることで新たに見えてくるものがあると言いたいのです。
「~すべきだ」といった固定観念に囚われていると、視野が狭くなり、マイナスの状況をプラスに転じるための一手も見つけられません。
やわらかな心とは、物事をさまざまな角度から眺められる自由な心のことでしょう。
そのためには「ああなりたい。こうでないといけない」という執着から一時でも離れてみること。
コンクリートの硬さではなく、竹のようにしなやかな心を養うこと。それは、決まった姿形を持たず、状況にあわせて姿を自在に変えられる心とも言えます。
ああなりたい。こうなりたい。ああすべきだ。こうすべきだ。そんな思いがあなたを追い込み、息苦しさを覚えたときは、ひとまず立ち止まりましょう。そうして空を見上げ、「どうにかなる、どうにかなる」とつぶやくのです。
「どうにかなる」でやわらかくなった心ならば、「さて、どうしようか」も、ゆっくり考えられるような気がしませんか。
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