僧侶が一般の方と違うのは、ぐずぐずとだらしなく生活が崩れていかないよう、自分に「箍(たが)」をはめていることです。
私たち僧侶は、常識的な範囲を超えて、毎日を規則正しく生活しています。特に雲水の間は、食事の時間、睡眠する時間、掃除をする時間、坐禅をする時間と、1日のスケジュールが事細かに決められ、「これが終わったら次はこれ」と慌ただしい日々を送ります。
おかげで、煩悩を刺激するものも目に入らず、自分を律することができる。それが箍をはめる効用です。
ちなみに箍とは、桶や樽をしめる輪っかのことです。桶も樽も小さな木の板の集まりですから、箍がないと形をとどめていられません。
箍をはめることによって木の板が隙間なく並び、水が漏れない、正しく使える桶になるのです。同じように禅僧も、箍をはめることで1つの桶となり、世の中の真理が蓄えられていくのだと考えられています。
「履物をそろえる」ことで心も整う
禅僧と同じぐらい規則正しい生活を、一般の方におすすめするのは酷だと思います。
しかし、だからといって何も意識しないままでいると、締まりがない毎日を過ごしてしまうのが定めです。高度に情報化され便利になった世の中では、刺激的な情報がひっきりなしに、私たちの煩悩を掻き立てるからです。行ってみたい、食べてみたい、あれやってみたい、これやってみたい。そんな気持ちの前に、ちょっとやそっとの自制心など、役には立たないでしょう。
では、どうするか。幸い、一般の方も取り入れやすい「箍」があります。
ここでいう箍とは、生活習慣の1つひとつのことです。
基本は「何事も心を込めて丁寧に」行うことです。実際、禅の教えは、日常の所作の1つひとつに及びます。
例えば、脱いだ靴はきちんとそろえること。
禅には「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉があります。直訳すると「自分の足元を見つめなさい」で、履物をそろえなさいということなのですが、履物の乱れも気にならないようでは、自分の心も整えられません。
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