「40代なのに老害」兆候のある人が始めたい習慣 老人なりの「安らげる居場所」を自分でつくる

✎ 1〜 ✎ 4 ✎ 5 ✎ 6 ✎ 7
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
上司と部下
最近、老害を非難する声のみならず、「老害になりたくない」という声も、大きくなっているように思います(写真:takeuchi masato/PIXTA)
あれもこれもと心配ごとが多すぎて、身動きがとれなくなっているのが現代人。どうしたら、不安に囚われることなく、「今、この瞬間」を全力で生きることができるのでしょう。
新著『考えすぎないコツ』では、禅僧であり世界的な庭園デザイナーでもある枡野俊明さんが、「頭をからっぽにして、心を無の状態にする」ためのヒントを解きます。
本稿では、同書から一部を抜粋してお届けします。

「自分が不要になる日」が恐ろしい

老害。自分が築き上げた立場や地位にしがみつき、若い人たちに譲ろうとしないシニアをそう呼びます。

『考えすぎないコツ:「気づいて」「ほどいて」「放っておく」人生を軽くするシンプルな本質』書影
『考えすぎないコツ』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

最近、老害を非難する声のみならず、「老害になりたくない」という声も、大きくなっているように思います。

シニアと呼ぶにはまだ早い40代にも「知らず知らずのうちに、若い世代の活躍を妨げているのではないか」という恐れがある。こうした心情はどこからやってくるのでしょう。

生物学的に見れば「老い」は「」に近づくことを意味しますが、恐ろしいのは死だけではありません。時代が求めるものとズレが生じ、自分が「不要なもの」になるかもしれないという不安が、老いをより恐ろしいものにしているのではないでしょうか。

例えば、テクノロジーの進展はいつの時代も大半のシニアを置き去りにしてきました。18世紀の産業革命のとき、機関車が走り始める以前と以後の仕事では、大きな隔たりがあったはず。いくら「昔の仕事はこうだった」とシニアが強弁しても、若者は「今と昔は違う」と一蹴したでしょう。

AIが日常に入り込んできている現代においても、同じことが起きているに違いありません。老害になりたくないと努力する人にも、自分が老害になるはずがないと油断している人にも、若さにあふれ今まさに老害を批判している人にも、平等に「老い」は迫っているのです。

次ページ目指すべきは「閑古錐」
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事