「40代なのに老害」兆候のある人が始めたい習慣 老人なりの「安らげる居場所」を自分でつくる

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しかし、若者が本当に困って、あなたを頼ってきたら、話は別です。

まずは、自分の意見を述べる前に、若者の話をよく聞くことです。

その後で、

「昔、似たような仕事で苦労をしたことがあってね」

「あのときは自分ひとりで終わらせようと頑張ったんだけど、その結果、多くの人に迷惑をかけてしまったんだ。今思えば、早めに白旗をあげて、周りに助けを求めればよかったかもしれないね……」

と、自分の経験を述べるのです。

こうしなさい、ああしなさいと、仕事の「答え」を授けることはできなくてもいいと思います。

そもそも、そんなことができるとは思わないほうがいい。経験豊富なシニアにできるのは例えば若い人の「心情」に寄り添った話ができることです。若者が若者なりに考えるためのヒントや、「悩んでいるのは自分だけじゃないんだな」と思えるよう自分の失敗談を話すことではないでしょうか。

それが閑古錐の円熟味です。

同世代とつるんでもいいことはない

どうしたら、閑古錐になれるのでしょう。

私の経験則から言えるのは、常に心を開き、社会との関わりを持ち続けることだと思います。

特に、そのことを忘れて定年を迎えた男性は、心にぽっかりと穴が空くことが多いようです。悠々自適といえば聞こえはいいですが、仕事にかわる生きがいを見つけられないと、そうなるのです。

すっかり歳をとったなあ」とひとりぐちりながらテレビをみて、たまに外出すると思えば、同世代の男性とばかりつるみ昔話をする。これは実につまらない。心に穴があくのも当然でしょう。

一方で、定年後もまだまだ社会の役に立ちたいと願い、若い人たちと行動をともにしている人もいます。何かするといっても仕事とは限りません。

一日不作 一日不食(いちにちなさざれば いちにちくらわず)

一般的に「働かざるもの食うべからず」と訳される言葉ですが、その訳は適切ではないと私は思っています。働くことばかりが人の「なすべきこと」ではないからです。

「なすべきこと」は、ボランティア活動かもしれませんし、先祖から受け継いだ畑を耕すことかもしれません。いずれにせよ、自分がなすべきことをしたい、誰かのために自分を役立てたいと考えて行動している人は、生きがいを失うことも、老害になることもないのです。

そのためにも、40代のうちから自分の力を、自分のためではなく、これからの社会を背負う若者たちのために使うことを意識してみてください

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