超大国・隋の誕生によって「急変する国際情勢」の中で、なぜ【日本初の女帝】推古天皇が誕生したのか
古代日本に多くいた「女性首長」たち
明治維新以降、皇室典範が整備されると天皇に即位できるのは、「皇統に属する男系の男子」に限定された。しかし、かつての皇位継承は明文化されていたわけではない。
推古天皇が即位できた背景には、古代日本において多くの女性首長がいたことがある。
例えば、弥生時代後半の2世紀、古代日本で最大勢力だった北部九州の盟主だった伊都(いと)国の首長は女性で、埋葬された平原(ひらばる)1号墓(福岡県糸島市)からは、皇位継承のための三種の神器の1つ・八咫鏡(やたのかがみ)と同型ともいわれる、日本最大の内行花文鏡(ないこうかもんきょう)が出土している。
最も有名なのが卑弥呼だろう。卑弥呼の王都と考えられる纏向(まきむく)遺跡は2世紀末に突如として出現し、その後の初期ヤマト王権に継承された。また卑弥呼の墓と考えられる箸墓(はしはか)古墳は、ヤマト王権の勢力圏に造営された前方後円墳の雛形となった。


















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