朝7時半に学校が始まり、学校が終わったら塾に移動。塾で夜23時半まで勉強をしていた青柳さんは、センター試験では751/900点を記録し、京都大学工学部の地球工学科に出願しました。しかし、この選択は「失敗だった」と後に振り返ります。
「京都大学工学部は、国語・英語・日本史のパーセンテージのみ2次試験に反映されるのですが、私はその3科目の平均が9割だったので、河合塾のセンターリサーチで工学部はA判定でした。地球工学科に出したのは、いちばん合格最低点が低そうだからという理由です。でも、結局この年は不合格でした」
京大を目指して浪人も、まさかの転機
後期日程では無事九州大学工学部のエネルギー科学科に合格しましたが、「もう一回頑張れば受かるかもしれない」と思ったことで、河合塾で浪人を決断します。
「九大には知り合いが多いからいいかなとも思ったのですが、不完全燃焼感も強かったので、予備校で浪人しようと思いました」
こう考えて、河合塾に入り1浪を決めた青柳さん。6月には京大の成績開示の結果が届きましたが、それを見るとわずか11点足りずに落ちていました。例年、合格最低点が高い電気電子工学科が、青柳さんの年だけは低めの点数が出たようで、「そっちに出しておけば合格していた」と自身の選択を後悔したそうですが、なんとか踏ん切りをつけて、浪人生活を送ります。
しかし、夏に駿台からアルバイト募集の紙が届いたことがきっかけで、次第に医学部に興味を持つようになります。
「紙には、九大生のアルバイトは『時給2000円』と書いてあったのですが、そこに『医学部生は別料金です』とも書いてあったんです。そこで初めて、医学部って給料いいの?と思って、少し心惹かれました」
当時医学部に関する情報をあまり持っていなかった青柳さんにとって、学生バイトでさえ破格の高待遇である「医学部」の存在は衝撃でした。
この年も高校時代と同じくらいの勉強時間を確保した結果、東大や京大の模試では東大理1でA判定が出るようになりましたが、少しずつ医学部に気持ちが傾いていきました。
「まだ進路はハッキリと決めず、医学部と京大の両睨みという感じでした。この年のセンター試験は750/900点で前年度とあまり変わらなかったのですが、医学部だと難しい数字だったので、京都大学の農学部を受験しました。ですが、結局この年も合格最低点に6点足りずに落ちてしまいました」
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