9月末までロイヤルホストで18時から深夜までアルバイトをして月5万円を稼いだり、図書館に行って勉強のために本を読んだりしていたこともあり、置かれた状況を生かしながら名大医学部の問題を研究していた青柳さん。
3浪目もセンター試験は790/900点と医学部への挑戦権は確保。もうこの年は名古屋大学の医学部しか受けませんでした。
「ここまできたら意地でした。今思えば後期で琉球大、宮崎大の医学部を受ければよかったのですが、もうこの年は名大に受からなかったら働こうと思っていました」
2次試験も手応えはあり、受かるかもしれないと思ったそうですが、物理で大問を1個丸々落としたことが響き、合格最低点から50点差での不合格。2次試験ですべて8割程度を取らないと受からない名大医学部で、この失敗は致命的だったようです。
この年は再受験の仲間も医学部に合格を決めたので、次の年から1人での受験が決定してしまいました。
4浪に突入、塾での教えが生きる
4浪目に突入し、仲間もいなくなり、絶体絶命の状況に陥った青柳さん。お金を稼ぐためにも、この年は、小学校・中学校のときに自身が通っていた学習塾で働きはじめることを決めます。幸い、それが青柳さんの能力の底上げにはとても役立ったようでした。
「この年は塾での仕事がメインで、小学生・中学生を中心に理科・社会・国語など全科目を教えていました。医学部受験のために働いていることは誰にも言っていなくて、頭から切り離していましたね。でも、塾の教材作りや指導を、自身の受験勉強にも生かすよう意識はしていました。その甲斐もあってか、この年のセンター試験は818/900点と、初めて9割を超えました」
「人に教えることで、自分の能力が上がった」と振り返った青柳さん。現役で大学に入った同級生が就職するタイミングになり、慌てて「大学生になりたい」という思いも芽生えはじめたそうです。
この年は前期で名古屋大学医学部と、後期で名古屋市立大学医学部に出願した青柳さんでしたが、無事名古屋大学医学部に合格し、その受験生活を終わらせることができました。
「教えることで、自分が賢くなることになぜもっと早く気づかなかったんだろうと思いました。名大医学部に受かったときは、びっくりしましたね。この年名古屋大学に落ちたら、3回目なので、さすがに縁がないと諦めようとも思ったのですが、合格して嬉しかったです。
センター試験が終わってから、直前期に小倉高校で東大を受験する後輩とも勉強をしたのですが、成績優秀な人がどれくらい解けるのかを確認することができたので、彼のおかげでもありますね(笑)」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら