「4浪医学部合格」京大諦めた彼が医師目指した訳 ギリギリ惜しいところで落ちる浪人の日々

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勉強面では、照曜館中学校を受験して見事合格しました。ところが、合格したにもかかわらず、青柳さんは地元の北九州市立南小倉中学校に進みました。

「地元の同級生と3年間一緒に通いたいという理由や、親がお金がないと言っていたような記憶もあります。さまざまな理由で、地元の中学校を選びました」

この当時、特に熱中するものはなかった青柳さんですが、小学生のときから地元にあった全教研に週4回通っていたこともあり、中学校2年生のときには、学年100人前後の中で1位の成績を取ることができました。

高校受験では、先生の方針と、金銭面で私立を避けてほしい親の意向を汲んで、福岡県立小倉高等学校を志望。そのまま合格して入学しました。

「私立はラ・サール、久留米大附設・青雲・九州国際大付属を受験しました。ラ・サールと久留米は落ちたのですが、青雲・九州国際大付属には合格しました。九州国際大付属には特待で受かり、授業料も無料だったので、行くかどうか悩みましたね。でも、結局小倉高校に知り合いが何人かいたのでそちらに進むことにしました」

小倉高校でも優等生だったが、途中で挫折

北九州市でも有数の進学校、小倉高等学校に入ってからも、青柳さんの成績は優秀でした。

「入ってすぐに受けたテストは9/360番でした。小倉高校だったら、学年20番以内なら東大・京大に受かると言われていたので、東大も狙えるかな?と思いました。進路は悩んだのですが、父親が工業高校の出身で理系だったので、2年生から理系を選びました」

濱井正吾 浪人 医学部
高校時代の青柳さん(写真:青柳さん提供)

2年生になって理系コースを選択してからは、さらに順位が上がったと語る青柳さん。1番を取りたいと思って勉強をした定期考査では、3/200位を獲得することができました。

しかし、青柳さん自身は「中途半端でした」と当時について反省しています。

「当時、学年で1番・2番を取る人は東大志望でした。めちゃくちゃ勉強しても、その人たちに敵わなくて、『こんなに勉強したのに……』と思ってしまったんです。それで、自分に東大は難しいと思うようになりました」

結局、高校時代の順位は3番が限界だったと語る青柳さん。

「東大に行く人は、(東大に行くことを)ゲームをクリアするように捉えている」と考えた青柳さんは、東大を諦め、父親の仕事と近い京都大学の工学部を志望します。しかし、現役のときは受験勉強を一生懸命頑張っていたものの、模試の判定はE~C判定が限界でした。

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