ただひとり光君だけが心の内で
若君の乳母たちには、身分も高く容姿のすぐれた者ばかりを選ぶ。光君は彼女たちを呼び出して、若君に仕える上での心得などを言い聞かせる。「かわいそうに、私の命も残り少なくなった今、これから育っていくなんて」と抱き上げると、まったく人見知りすることなくにこにことして、ぷくぷくと太り、色白でかわいらしい。光君は大将の幼い頃をかすかに思い出すが、似てはいない。明石の女御が産んだ宮たちは、みな父である帝の血筋を引いて、皇族らしく気高いが、とくべつ抜きん出てうつくしいということはない。この若君は、たいそう気品があるのに加えて、愛くるしく、目元がほのぼのとうつくしく、にこにこしているのを、光君はじつにいとしく思うのだった。そのように思って見るせいだろうか、やはり督の君によく似て見える。もう今からして、まなざしが穏やかで、こちらが気後れしてしまう様子も並々ならず、香り立つようなうつくしい顔立ちである。母の尼宮はそこまでは見分けておらず、ほかの人はもちろん知るよしもないので、ただひとり光君だけが心の内で、「ああ、はかない運命の人だった」と思い、まったくこの世はさだめなきものだとつい考えてしまい、涙がほろほろとこぼれてくるのだが、「おめでたい今日は、縁起でもないことを口にしてはいけない日なのに」と涙を拭っている。五十八歳にしてはじめて子を持った白楽天(はくらくてん)が詠んだ詩の一節、「静かに思ひて嗟(なげ)くに堪へたり」と口ずさむ。光君はその年齢より十歳若いけれど、人生も終わりに近づいてきた気がして、しみじみと感慨を覚えずにはいられない。同じ詩にあるように、「汝(なんぢ)が爺(ちち)に似ること勿(なか)れ(おまえの実の父に似るのではないよ)」と、釘を刺しておきたくなったのかもしれません……。
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