道ならぬ恋に心を乱し、身を滅ぼしていいものか 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・柏木⑧

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この秘密を知っている人が、女房の中にもいるのだろう。誰が知っているのかわからないのがくやしい。きっと私のことをまぬけだと思っているだろう、と思うと穏やかならぬ気持ちだが、いや、この私がもの笑いになるのなら我慢もしよう、どちらかというならば尼宮の立場のほうが気の毒だ、と思い、おくびにも出さずにいる。若君がいかにも無心に声を上げて笑っている、その目元や口元のかわいらしいのを見ても、事情を知らない人はどうかわからないけれど、やはり督の君にひどく似ている、と思うのである。督の君の両親が、せめて形見となる子どもでも残していってくれればと泣いているのに、彼らに会わせることもできず、人知れず、こんなにはかない形見だけを残して、あんなに気位の高い立派な人物だったのに、みずから身を滅ぼしてしまったのか……、と痛ましく、また惜しくも思えて、憎む気持ちも消えてしまって、つい泣いてしまうのだった。

まさか平静でいられるはずはない

源氏物語 5 (河出文庫 か 10-10)
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女房たちがそっとその場を離れた時に、光君は尼宮のそばに寄り、「この若君をどう思うのですか。こんなにかわいい人を捨ててまで出家しなければならなかったのでしょうか。ああ、情けない」と声をかけると、尼宮は顔を赤らめている。

「誰(た)が世にか種(たね)はまきしと人問はばいかが岩根(いはね)の松はこたへむ
(いったいだれが種をまいたのかと人に訊かれたら、岩の上に生まれ育った松──若君はなんと答えるだろう)

かわいそうに」と光君が小声で言うと、尼宮は返事をすることもなくうつ臥してしまう。無理もないと思う光君は、それ以上しいて言うことはない。いったいどう思っているのだろう、ものごとを深く考えるような人ではないが、まさか平静でいられるはずはない、と尼宮の心の内を思うにつけ、いたわしくなる。

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