そんな気持ちが変わり始めたのは、高校生になってからでした。梨奈さんが通う高校では、生徒が自分でテーマを設定して探究する授業があるのですが、そこで彼女はろう学校との交流会を企画したのです。これが、大きなステップになりました。
「そのとき同じグループのみんなに『自分の親がこうだから、こういう活動をしているんだ』ってことを言わなきゃいけなくて。そこが結構、私にとっては大きな壁だったんです。みんなの前でちゃんと正式にそれを言うっていうのは、やったことがなかった。でもそれができて、すごく大きな壁を乗り越えたなって」
以来、梨奈さんは親がろう者であることを友達の前でオープンに話せるようになり、気持ちがちょっと楽になったそう。ただし、友達から「特別な目」で見られたくないという思いは、今も変わりません。
「『なんか手話やってよ』って言われるのは、ふつうに気まずいんですよ。帰国子女に『なんか英語しゃべって』って言ってもしゃべってくれないのと同じで、やっても(相手には意味が)わからないし。私にとっては親だから、障害者ってとても身近で、特別な存在じゃない。それをあえて特別視する感覚っていうのがイヤで」
といっても、人前で手話をするのが全部イヤ、というわけでもないのです。
「手話って離れていてもできるんですね。だから授業参観のとき、私が教室にいて、親が廊下にいたときも、話ができて。それを見たみんなが『すごいね、かっこいいね』と言ってくれたのは、うれしかった。すごく受け入れてくれてるなって」
「特別な目」で見られることが、梨奈さんにとっては不快なのでしょう。友達は本当に「かっこいい」と思って彼女に手話を頼んだのでしょうが、でもそれは、梨奈さんにとっては、ちょっとモヤッとすることだったのでした。
「親がろうなんだよね」と言っても何の問題もない世界がいい
最近梨奈さんは、考えさせられることがあったといいます。都内ではときどきコーダの会が開かれているのですが、初めてそこに参加したのです。
「すごく不思議な感覚でした。手話も日本語も(自分だけでなく)ほとんど全員が使えている。だから誰かが話してる間に、手話で別の会話を済ませる人もいたりして。そういうふうに、音声言語と手話を用途に応じて使い分けができるのって、すごく便利だなと思って。みんなそうすれば、もっと楽なのになって思います」
なるほど、それはたしかに便利そうです。みんなが日本語と手話を使うようになったら、職場の会議などもちょっと早く終わりそうです。
でも一方で、ちょっと悲しいこともあったそう。参加者のなかには、結婚などの際に親がろう者であることを理由に差別を受けた人もいるのを知り、「そんなことがあるんだ」とショックを受けたといいます。
「知らなくてもいい世界もあるのかな、と感じてしまった」という梨奈さん。これまではほとんど意識していなかったけれど、自分の環境は「ふつうじゃない」と感じ、最近また少し「(親のことを)人に言いづらくなってしまった」といいます。
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